1:ブクタブクオ
全国各地の忌み地・忌み山に関する記事を、ダラダラと腐った屍の
ような気分で語り続けるスレです。
「呪わしい土地」・「腐った土地」と嫌われる土地の伝承の起因を
知り、掘り起こしていくだけの話ですが、暗い気分に浸りたい方、
鬱な方には打って付けの内容にしたいです。
実際の地名が出てきたことによる第三者の不利益が発生しても、
当方一切関知いたしません。
さあ、あなたも気が狂うワールドへ飛び込みましょう……。
4:ブクタブクオ
【祟り山】― 東京都奧多摩町氷川より小河内ダム周囲 ―
・倉戸(クラド)
奥多摩第2駐車場から仰ぎ見る倉戸山。その裾に当たる現在のバス停
付近は、かつて悪い事がある場所として近在に知られた祟り山である。
昔、何者かが炭焼き窯の中で死んでいた。
その霊を祀るために碑を立てたが、誰が作業をしても怪我をしたり、
火を出したりと非常に不首尾な事が起こる。
今もってジメジメした寂しい北面の山側で、もとは個人持ちの山で
幾人もの手を渡り歩いたが、最後に埼玉県入間の医師が所有した後に
都が買い上げ、公園管理団体のもとに置かれている。
・居合澤(イヤイザワ)
倉戸山の奥手の祟りある山で、永い間に木の葉が深く積もってブクブクと
している陰気な沢である。
戦前まで此の沢で材木の太いやつ程もある蛇を見た者がいた。
また、頭が尾羽の方にも付いている山鳥が住んでいるといい、炭焼きは
入ったりするのさえ嫌がった。
ここは元の地主が祟ると言われ、ある一家が買ったところお祖母さんが
ランプを灯すのに失敗し、体に火が付いて亡くなり続いて孫も火傷で
死んだという。
人の手を渡り続け、都の所有になる前には薪炭組合の所有になっていた。
56 :【祟り山】― 東京都奧多摩町氷川より小河内ダム周囲 ― :03/08/24 00:46
【祟り山】― 東京都奧多摩町氷川より小河内ダム周囲 ―
・御霊の尾根(ミタマノオネ)
海澤の東側の山続き、大岳山から北へ抜けた大楢峠から城山の間にある。
山の形がイハイに似てるので位牌山とか御霊山とか呼び、非常に悪い
処だという。
この山に自害沢(ジガイサワ)と呼ぶ沢があり、その昔日本武尊が従者を
十人連れてここまで来たが、何かの理由で従者たちが自害してしまった。
又は、自害したのは旅の六部とも平家の落人ともいう。
その祟りでか、この自害沢に入って作業(山仕事)をした者は、山の中で
必ず死ぬ。それでここに入って死んだ者が出た家から位牌が出るから。
位牌指(イハイザス)とも呼ぶ。
以前、ここに従者十人の位牌が飾ってあったという。
所有者が髙指(タカザス)と名を変えたが、誰も買い手がないので都に
売却し、今では奥多摩記念林の一部になっている。
12:天之御名無主
57 :【祟り山】― 東京都奧多摩町氷川より小河内ダム周囲 ― :03/08/24 01:00
・天蓋山(テンガイヤマ)
海沢の北にある600余米の高さの山で、山頂近くは誰も入らないので
雑木が茂っている。
昔の野辺送りに棺の上にかざす「天蓋」そっくりの形をしている。
タツガイトとも呼ぶ人もいる。
この山は買う者、売る者、木を切る者に悪い事があるという。
上坂の人が買う算段をしていた時、三つになる子供が囲炉裏で火傷し、
経過が悪くて亡くなってしまった。
天蓋山には庚申が祀られているが、この庚申様が火傷させたのだという。
13:天之御名無主
58 :【祟り山】― 東京都奧多摩町氷川より小河内ダム周囲 ― :03/08/24 01:15
・病ヶ沢(ヤマイガサワ)
日原、川苔谷の支流、逆川の奥にある。
周囲はかなり広い手付かずの山林で、昔、ここに宿っていた法師が
命を捨てた所だとも、落人が逃げてきて首を斬られた所だともいう。
ここで一山買ってのべつに仕事をすると必ず病気に罹ったり死人を
出すという。
眼患に罹り、「銭ばかり掛かる」と言う人もいた。
町が買い上げ町有林になり、名前も(病まぬヶ沢)にしたが、誰も
山仕事に行かぬという。
14:天之御名無主
59 :【祟り山】― 東京都奧多摩町氷川より小河内ダム周囲 ― :03/08/24 01:31
・骨窯(コツガマ)
病ヶ沢(ヤマイガサワ)の川向こうにある所で、そこで炭を焼くと死ぬ
というので誰も木を切りに行かない。
太い楢がツクツクと生えていて陰気な所だという。
他にもカワナの屋敷地、または屋敷谷戸(ヤシキド)ともいう皿の割れた
物が出る場所もあり、理由は分からないが悪いところなので小屋掛けを
したり、作場をきる事はしないという。
カワナの屋敷地に小屋を掛けたら、天狗に小屋ぐるみ揺すられたので
以後は行かないという人もいる。
15:天之御名無主
60 :【祟り山】― 東京都奧多摩町氷川より小河内ダム周囲 ― :03/08/24 01:38
・食わない作り(クワナイヅクリ)
日原川沿いの大澤部落の山の上にあり、ここでいくら耕作しても
食えずに死ぬという。
以前、ここに金剛寺という寺があったという。個人持ちの山だが
短期間に何人もの持ち主が変わっている。
16:天之御名無主
61 :【祟り山】― 東京都奧多摩町氷川より小河内ダム周囲 ― :03/08/24 01:49
・位牌山(イハイヤマ)
大澤地区と同じ日原川沿いの寺地地区にある。
裏手の峰畑では塔婆山(トウバヤマ)とも呼ばれ、位牌の形だ、塔婆の
形だと言ったりしている。
昔、炭焼き小屋に法印様が泊ったが、貧困に喘ぐ炭焼きが金欲しさに
殺してしまった。
あるいは栗拾いが法印をヨキ(斧)で殺したともいうが、兎に角
それ以来祟る山になったという。
大体買主に祟るが入る者にも良くない事があり、九人でそれぞれ炭を
焼いたらどの窯もみな火が消えたという。
17:天之御名無主
64 :【祟り山】― 東京都奥多摩町氷川から小河内ダム周囲 ― :03/08/25 03:04
・位牌平(イハイデーロ)
青梅街道を奥多摩駅からダムに向かった先、境地区にある。
元は子安平(コヤスデーロ)と呼んだが、何か良くない事があり
そう呼ぶようになった。
祟り山で作場を作ったりするのを嫌う。
この付近では入ったり炭を焼くのを忌む場所は他にも多く、
それらを皆、地獄谷戸(ヂゴクト)と呼び、誰かが仕事で
怪我か死亡した場所であり、人名を冠して誰々ヂゴクと呼ぶ。
18:天之御名無主
66 :【祟り山】― 東京都奥多摩町氷川から小河内ダム周囲 ― :03/08/25 03:37
・生首(ナマクビ)
六ッ石山へ向かう途中の集落、水根にある祟り山。
昔からその山を買うと身体から首が離れるような事になる
(いわゆる斬罪、獄門首になる)といわれ、誰も買いたがらない。
新梨尾、出野萱の両方も祟り山だと言う。
19:天之御名無主
67 :【祟り山】― 東京都奥多摩町氷川から小河内ダム周囲 ― :03/08/25 04:09
・位牌窪(イヘークボ)
御前山の北西を下るミズクボ沢がダムに流れ込む辺りをいう。
昔、伊平という炭焼きが窯に火を入れていたが、山崩れで
窯と一緒に樹の下敷きになって死んだ。それ以来ここで
木を伐ると怪我をしたり、呼んだりするので気味悪がって
山仕事をするのを嫌うという。
湖岸道路に面しており、今では林業作業車やブルドーザー
が唸りを上げて稼働している。
20:【祟り山】― 奥多摩町氷川より小河内ダム周囲 ―
・北蓑戸(キタミノト)
奥多摩周遊道路のダム側ゲートを過ぎて数キロ行くと交差点があり、
山の「ふるさと村」に向かう道がある。
ここよりふるさと村へ数百メートル進むと一本目の橋がある。
「北蓑橋」・・・。
この辺りは昔、糠指(ヌカザス)といい、北蓑橋の下を流れる谷を
着タ蓑戸(キタミノト)と呼んだ。
昔、ある夏の雨の降っている日、ある人がここで炭を焼いていたが、
眠り込んでしまい、着ていた蓑に火が付いて焼け死んでしまった。
それで「着タ蓑」と云う名前が付いた。
ずっと昔の事で、それ以来この山に入ったり、所有者になると必ず不幸が
あるといわれた。
蓑を焼いて死んだ人の次の持ち主は火傷で死に、
南集落(現在矢久亭のあるところ)のある人はここで狸に化かされ、
裸足で歩き回りながら死んだりしたという。
埼○銀行某支店の頭取が持っていたときは子供が次々に死亡し、支店の
経営も上手くいかず財産が1/10になってしまった。
また、ここで働かせていた林業労働者が崩落で6人死亡する事故も起き、
とうとう困り果て塔婆を建てて捨て値で売却した。
以後も人手を転々とし、最後に鳩和木材株式会社から都に買い取られ、
今では何も知らないレジャー客を呼び寄せている。
23:天之御名無主
>20
支店の頭取?支店長ではないかい?
それはともかく土地を買うときには来歴をよく調べよう…
と思ったよ。
21:天之御名無主
檜原村数馬の蛇の湯は?
22:ブクタブクオ
蛇の湯の話は祟り山と違うので外させて頂きます。
檜原も祟り山の話は豊富です。
作物泥棒と間違えられて百姓に撲殺された貧しい哀れな武士が祟るように
なった畑の話など、山に限らず色々あります。
ですがもう少し奥多摩湖側の話が残っています。
ではまた明晩・・・
27:天之御名無主
どうせ奥多摩の山菜利権か松茸利権がらみで
排他独占を狙って出来た話だろう。
竜喰谷とか龍神沢なんて名前が付くところに限って
入れ食いの場所が多い。
28:【祟り山】― 東京都奧多摩町氷川より小河内ダム周囲 ―
忌み地 屍 怪談社奇聞録 (講談社文庫) [ 福澤 徹三 ] 価格:704円 |
・新発意(シンボチ)
北蓑橋の先、「山のふるさと村」のある辺りは岫沢(クキサワ)と呼ぶ
地区である。
実は此の場所も、以前は新発意(シンボチ)と呼ばれる祟り山であった。
新発意(シンボチ)というのは浄土真宗などでいう若年の遊行僧で、
それが何かの理由でここまで来て死んだ場所でといわれている。
雨の降る時は出てきたという話が残っており、シンボチ小僧がいるなど
と言われていた。
またここで作場を切った人が猪を追うための小屋を掛けていたが、その
猪に当たって死んでしまった事もあるという。
南地区(矢久亭や深山荘のある場所)の人が持っていたが、その家には
馬鹿(精薄)・気狂い・目ッカチ(片目)の子が生まれたり、首を振る
婆さんが出た。
それでもまだ持っていたら遂に破産してしまったと、此の付近の老人は
どこでも知っている。
29:【祟り山】― 東京都奧多摩町氷川より小河内ダム周囲 ―
・児沢(コサワ)
「山のふるさと村」のレストハウスの直ぐ先にある沢で、昔は良い
ワサビが採れる田があった辺りだ。
他の所では絶対に見られないアヤメが咲いているので、誰かを葬って
植えたのだろうという。
今までに山仕事で二人程死んでいるほか、炭を焼くと必ず不幸がある
といい、ある人は両親と妻の三人をいち時に亡くしたという。
30:【祟り山】― 東京都奧多摩町氷川より小河内ダム周囲 ―
・種ヶ岩(タネガイワ)
都民の森として整備された三頭山のどこかにある岩で、この岩の横の
窯で炭を焼くと、火の中に頭を割られた男がじっと睨んでいる。
昔長野から山梨まで種売りに来た男が、残りを桧原で捌こうとここまで
来たところ日が暮れ、炭焼き窯の側の岩で野宿をしていた。
早朝に炭焼きがやって来て、売上金欲しさに殺して窯で焼いたのだと
いわれ、ここでは炭を焼かない。
31:【忌み地】― 茨城県稲敷方面の病人田 ―
・江戸崎町の潰れ屋敷跡
昭和の初め頃、江戸崎町松山で「良い売畑がある」と持ち掛けられた人が、
下君山の羽黒にある20ヘクタール程の桑畑を購入した。
ところがそれより、次々にその家庭に不吉な事が起き初めた。
主人が飼い馬に足を踏まれ足指を切断したり、娘が鬱病に罹り自殺未遂を
起こしたりと祿な事がない。
困った主人が近所に住む老人に洩らしたところ、意外な話をされた。
昔その畑に百姓家があり、高持ち(土地持ちの豪農)だったという。
その家敷でゴゼを泊めたところ、稼いだ銭を沢山持っていたので風呂に入れ、
湯船に漬けて殺して敷地に埋めたのだと云う話だった。
ある晩、隣の嫁がこの屋敷に風呂を貰いに行ったが、風呂の蓋を取ると
火の玉が一杯に入っていた。仰天した嫁が風呂掻き棒で思いっきり叩いた
ところ、あたり一面に火の玉が散らばり火の海になった。
恐ろしくなった嫁は夢中で逃げ帰り、布団を被って寝込んでしまった。
そんな事があって以降次々に悪い事が起き、ついに潰れた屋敷跡なのだった。
それを聞かされ驚いた主人は、地続きの家で売ってほしいと話があったのを
幸いに、大分損を承知で売り渡した。
その後、嘘のように凶事が治まり、娘の病気も治ってしまった。
ところが一方、買った家では主人が胃癌で急死。倅は若くして中風に罹り、
不幸が次々に襲ってきたという。
堪り兼ねたその家でも、小学校の移転先の用地を町が探していると聞き、
売却に成功してからは平穏無事だという。
3:天之御名無主
不動産屋さんに商売に必ず失敗する土地のブラックリストがあるらしいね。
呪われてるのかな?
34:休題…..(ブクタ)
忌み地の話ではないが、前述の茨城県稲敷郡江戸崎町下君山から、上君山へ
向かう国道408号には他にこんな怪談もある。
これも昭和の初め頃の話で、小雨がしとしとと降る寂しい夕方に火の車が
現れるという話があった。
火の車は近付いてくると、側によって「乗ったか?乗ったか?」と声を掛ける。
返事をしないと何時までもまとわりついて「乗ったか?」と決して去らない。
そこで「乗ったあ!」と答えると、まっしぐらに走り去る。
行く先は多分、上君山の「いも薬師」だろうという。
※「いも薬師」は別名:「車堂」と呼ばれている。
国道に面した、雨よけのあるだけの奥行きのない木造の祠堂である。
何故「車堂」と呼ぶのかは、はっきり分からない。
35:天之御名無主
忌み地って昔の人は尾根端、谷くち、お宮前、お寺裏っていってたよね。
39:天之御名無主
>>35
え・・・。漏れの家はお宮の真ん前にあるわけだが・・・ガクガク(((゚Д゚;)))ブルブル
まぁさ、お宮から古木のある庭、稲荷にかけて時々何か通るけどさ。
火の玉とか、この世の人でない人とかさ。悪い気配しないからいいけどさ。
46:【忌み地】― 茨城県稲敷方面の病人田 ―
・牛久市奥原町
ここにかつて薬師寺、地蔵院の二寺があった。
この寺は修験道の寺院で、明治維新の際に廃寺となり、その持田は民間に
払い下げられることになった。
地蔵院は持田40㌶余り、地味も豊かで収穫も良かったが、なぜかこの
田を作ると凶事が起き、地元の人は誰も作る人がいなかった。
人手を巡り、多村の者なら障りなかろうと買った者がいたが、やはり凶事
に悩まされ手放したと言う。
薬師寺は持田50㌶ほど有り、古文書によれば旧藩士に払下げられた後に
次々と持ち主が代わり、ある家では長男・次男と続いて事故死したという。
安値に釣られて買った竜ケ崎市内の不動産屋が、たび重なる災難に困り
果て、某寺院に寄進してしまった。
47:【忌み地】― 茨城県稲敷方面の病人田 ―
・龍ケ崎市八代町下入代
県道潮来線のバス停から30㍍程の所に、十三角田という田があった。
この田がなぜ忌み田になったのかは定かでない。
葬式の十三仏と田の角の合計が同じだからと言う者もあるが、理由は
はっきりしない。
この田を耕作する家には次々と凶事が発生し、永い間荒れるに任せていた。
しかし終戦後の食糧不足と米価の高騰に耐え切れず、この田を耕作する
人があった。
この家では間もなく、倅が土方仕事に出てガケ崩れで生き埋めになり死亡。
親父は急に田を手放したくなり、他の人に貸して作らせたら今度はその家
で主人が胃ガンで死亡。家族にも次々と病人が絶えないので遂に放棄した。
荒れ果てていたが耕地整理が進み、今ではどの辺にあったかも判明できなく
なり、地主が元の場所あたりを配分され引き受けた。
地形が変わったためか、今では無事だと言う。
49:天之御名無主
死人もいなくて、なぜ忌み地になったかわからない土地って
風水で言う陰の気が噴出してるところみたいなものかな?
そーいう土地は20年で地運が変わるので時間がたてば大丈夫らしいが。
50:ブクタブクオ
風水なんてここ12~13年前、から言われ出した事で、日本の既存の生活文化に
何の関わりもありませんよ。
メディアがデッチ上げた、新しすぎる認識です。(映画「帝都物語」の影響?)
53:天之御名無主
江戸は四神(玄武・白虎・青龍・朱雀)の守りを作ったのは事実。
古くは平城京・平安京にさかのぼるのだがね?
藻前こそ無い知識で痛すぎ。(・∀・)カエレ!
54:ブクタブクオ
>>52
ホントにそうじゃないって言うなら、どんな理由がありましょうや・・・?
和泉宗章氏の天中殺や、細木数子の六星占術のように単なる流行です。
それ以前の日本の文化に「風水」の二文字があったなら、私見は
引っ込めますけどね。
57:天之御名無主
>>53風水の四神思想が平城京・平安京の時代になかったことを知ってるかい?
それと、江戸の四神相応はコジツケだってことは最近さんざん言われてるが。
58:天之御名無主
61:天之御名無主
四神を鋳込んだ鏡が渡来してるけど。
有名な景初4年鏡も方画規矩四神鏡。(卑弥呼の鏡?)62:天之御名無主
平安京に朱雀門ってあったんじゃないのぉ?
64:天之御名無主
風水の歴史
風水はもともと中国古来の仙道五術の奥義です。
この奥義は森羅万象の過去から未来に至るまでを判断し、運を切り開いていくのに
風水羅盤を用いて、王や帝王とその国家の安泰の為に使われていました。
はじめのうちは、国を守る為に主に軍策として利用されていました。
攻め入る軍はどこに陣をおけば効率が良いか、どこから攻めていけばよいか、
またどこに城を築けば攻められにくいかなどを地理・方位などから判断していたのです。
国が安泰となってからは軍策だけでなく、このノウハウを使って、
繁栄する都・国作りに応用され、次第にこの奥義の一端が庶民にまで広がり、
家相や、個人の生まれた時間を元に個人の吉凶を判断するものとなっていったのです。
日本では、最近流行っている「陰陽師」がこの風水の奥義を会得しました。
陰陽師は、中国から伝来してきたこの奥義を踏まえ、暦を読み、国の祭事を司り、
風水に基づいた都作りをしていました。
陰陽師は国の重要な地位を確立し発言そのものが国を左右していたのです。
ちなみに陰陽師は「国家公務員」でした。
平安京の碁盤の目のように整然としている都は、完璧に風水に基づき
作られているのは有名です。
日本の歴史に風水が登場しているのは古く、邪馬台国の頃からと唱えている
歴史学者もいるようですが、この辺は定かではありません。
定説では平安時代の頃と考えられています。
諸葛孔明(しょかつこうめい)は希代の風水師で、軍師となれば戦に勝ち、
国主となれば国を適切な方向へ指導していきました。
日本では、徳川家康が博学で薬学などにも秀でていました。
そして、京から江戸に遷都した際、風水の教えに基づき都を作りました。
実際江戸城(現皇居)は風水上では理想の場所にあります。
また、家康が亡くなって日光東照宮にお祀りされていますが、
ここも風水上大変パワーの流れている場所に位置しています。
江戸幕府が300年の長きに渡って安泰に続いたのも、
同じく平安京が長く続いたのもこのような風水の良い影響があったからとされています。
65:天之御名無主
「確かに平家物語にも「左青龍、右白虎、前朱雀、後玄武、四神相応の地なり」と記されている。
だが、実はそれはありえない。というのは、山や道などを四神にそれぞれ当てはめるのは、
中国で10世紀に始まったことだからである。8世紀に造営された平安京が、周囲の山や川などを
四神とみなしたため吉祥の地として都に選ばれた、とい可能性はない。」
67:天之御名無主
「一方日本では、13世紀ごろから気の流れについての考えが入っているが、
家相、墓相には反映されずに近年まで至っており、風水の上陸によって盛んに
気の流れによる判断がされるようになった」
59:天之御名無主
81:天之御名無主
ごめん、風水ネタ書いたの俺だ。
でも四神とかじゃなくて、気が尾根筋を通って流れるとかいう山岳風水の話。
気の吹き出る穴には真穴(生気の吹き出る穴)と忌穴(生気の結ばない不毛な穴)
があって間違えて忌穴を活用したり、誤った方位で活用すると災いがあるってやつ。
なんか微妙に尾根端の忌み地ってヤツとリンクしそうな話だったんで…
スレ違いスマソ。
83:山荒治五郎
>>81
面白い。そんな話にも興味があります。
よかったら別スレででも聞かせて下さい。
135:天之御名無主
神奈川の鎌倉って結構忌ってます。鎌倉時代に処刑場だった所に建った家の事ですけど、そこに住んだ家族は事故や一家離散に見舞われたという。実際俺そこに住んでましたけど、母親が亡くなって一時一家離散したかな。場所のせいかはわかりませんけど。スレ違い?
138:天之御名無主
鎌倉と言えばユーミンが屋敷を建てようとした所から
大量の人骨が出てきたらしいが、あの話はどうなったのかな?
>135
鎌倉の由比ヶ浜って昔、処刑した囚人の埋葬地だったんですよね。
そう、処刑場や古戦場跡地みたいな場所は祟地多いですね。
なんか京都や奈良方面にはもっと多くの埋もれた話がありそう。
144:天之御名無主
>>143 そうですよ。埋葬地だけじゃなく処刑場自体あったとか。霊感があるという人はあの辺り近付きたくはないんだとか。小坪は有名だけどただの心霊スポットか。とにかく戦国時代の都付近はろくなもんじゃないです。
・入いらずの森(イラズノモリ)
川崎市多摩区生田にある川崎市水道局生田浄水場散策道のことであり、
こんもり木の茂った陰気な手付かずの森である。
第六天の祠があったといい、土地に昔から住む人は立ち入らなかった。
浄水場建設の際、怪我人が多数出たという。
ブクタさんが退屈しているようなので、今まで楽しませて貰ったお礼に
僭越ながら小ネタを提供させていただきます。
ただし
・そんなにオドロオドロしくないです。
・ネタ元は古いです。大正9年。なので、本文中の「今」とか
「現在」というのは、大正9年現在ということです。
・静岡県です。
・最後に行を空けて書いてあるのは、私のメモです。
富士郡島田村(現在の富士市 国139と県171の交差辺り?)
依田原新橋の東外れ、和田川の西側の土手を南へ一町ばかり行った所に、
幅一間ばかりの川がある。土橋が掛けてあり、ここを「お園水道」という。
昔、お園という芸者がこの川に入って死んだという。そして、ここに
住む者は決して成功しないという。
ある人は御稲荷様まで祀ってお祓いをしたけれども、やはり思わしくなく
余所へ移ってしまった。今もその御稲荷様は、古びたまま残っている。
208:
榛原郡白羽村(現在の榛原郡御前崎町白羽)
白羽村字小杉原に、千人塚がある。その上に松が植わっていて、
椀貸せ松という。この松を切ると血を出すと言って、手をつける者は
いなかったが、明治20年の頃に切って畑と成し、今は跡さえもない。
この松を切った者は、当時富裕の資産家であったが、今は全く零落して
家屋敷も留めていない。一家は死んだ者あり、病んだ者あり、全く離散
してしまった。松の祟りではないかと言われている。
松を直接切ろうとした人夫も、枝打ちに上ったところ、過って墜落し
腸を出して死んだという。
賀茂郡中川村(現在の賀茂郡松崎町の内陸部)
障子山(難山?)と云う山には、現在は埋まってしまったが、
障子山という人が戦の時に隠れたという穴があった。
この山は木が大きくなったのだが、買う人がない。
この山の木を切った家には災難があり、家にない場合には木を積んだ船に
悪いことがあると言われている。
なお、前述の穴に白旗が立っているのを見た人は、3年以内に死ぬと
言われている。
価格:1760円 |
211:
淀師に、「やみた」という田があり、作ると必ずその家の誰かが病気になる。
昔、殿様がここに深い池のような牢を造って、罪人を生殺しにした所だというが、
確かなことは分からない。
212:
「やみ田」は、集落に必ず一つ二つはある。この田には、石で造った小さな
祠のような物が祀ってあるので、すぐ分かる。この田を作ったり、また
作ると約束しただけでも、死ぬか非常に重い病に悩まされるので、嫌われている。 2ヶ月前にも「やみ田」を作ると約束した人が亡くなったので、
祟りだと言って村では益々嫌っている。
214:
賀茂郡下河津村(現在の河津町)
ころ柿山には、その名の如く幾百年経ったか分からないくらいの、
ころ柿の木がある。その年、柿がたくさん成り、村では男も女も皆で採りに行った。
男が木に登って柿を採り、女は下で落としてくれとせがんでいた。が、
ふとした拍子に一人の女が木に触れると突然、木が女をくるっと巻き込んでしまった。
今でも、巻くから、と言って女をその木に近づけない。
216:天之御名無主
東松浦郡北波多町 岸岳城
かなりいわくつきの土地ときくが、単なるオカルトネタなのかな
価格:2420円 |
217:ブクタブクオ
ありがたい、本当にありがたい。
205~215さん、ブクタは感謝しております。
もうオカルトでも何でもいいじゃありませんか。
民俗からオカルト抜いたら何が残ります?何もないですね、はい。
219:天之御名無主
青森の鯵ヶ沢とか九州の、県は忘れたが鯖山だとか
淡水域に決して住むはずのない魚類の名前を冠した
山名地名がある。オカルト...とは言わないが、俺にとって
は、不思議でそそらえるんですが。フタグンさん。
224
>>219
そういう地名は、
元来は違う字で記してたんだけど、いつのまにか
よく使う漢字で書くようになっちゃいましたーという
パターンの場合があります。
いや、何か謂われがある場合もあるんでしょうが・・
226:天之御名無主
>>219さん
魚に関連した山名について、鯵は知りませんが
鯖(サバ)・・・サブ、サヒに通じる。「鉄分を含む地」の意。
鰈(カレイ)・・・カレ、ガレに通じる。「崩れ」のある地。
という説もあります。一説ですが、ご参考までに。
229:天之御名無主
鰺ヶ沢については、「葦の生い茂る沢」が由来だと聞いたことがあります。
230:天之御名無主
そんなあなたに
サバ神社 その謎に迫る 江本好一 著 星雲社 \1400
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235:天之御名無主
このスレに出てくる地名の出身だけど、
自分のところが忌み地だなんて初めて知った。
確かに、「宮ノ前」と呼ばれている地域があった。神社の前に。
だけどそこは大地主だったけどなあ。
236:
>>235
一説ですが、お金持ちの家を周辺の人達が妬んで、
悪い噂を立てることもありますよ。
ちょっと例が違うけれど、クダ憑きとか六部殺しとか。
「あそこの家はこーんな悪い事してお金持ちになってるけど、
ホントは祟られてるんだぁ」みたいな。
ま、参考までに。
237:天之御名無主
>>236
被差◯部落の象徴?ともされる○○神社があるんだけどね、そこ。
でも、いわゆる同◯地区とは違う印象がある。
江戸の昔は知らないが、大体は土地持ちの農家で二階建ては当たり前、
車も二台ぐらいもっている家が多くて。ただ、農業地区としては、広い水田が作れないので
そう豊かではないと思われたが。
印象としては、尾根と谷が入り組んだ中で、一番の窪地で、
森がうっそうと生い茂り、夜には肝試しにうってつけ、の地区だった。
実際、小さい頃は肝試しして遊んだ。
ただ、明治ごろに、「神社の前の道で、子供が牛車に轢かれて死んだ」
「伝染病で死人がよく出た」という言い伝えを祖父から聞かされたことはあった。
そういえば。今思い出した。
247: なんだか特殊な方々にモテてるみたいなんで、
置き餌しておきますね。
静岡県相良町 黒子「翁橋」
蛭ヶ谷川に架かるが、この橋の付近では「ぢんぢん川」と呼んだ。
狐狸か妖怪か判らないが、夏の夜などに
みすぼらしい身なりの老人が現れたり、川土手の草が綺麗に刈り取られていたり、
痩せ細り青白い顔をした怪物が、もの凄い形相で研ぎ澄ました鎌を持って
現れたりした。
老人→じじい→ぢんぢん とのこと。
爺さんは濡れ衣のような気もしますが。
251:本籍は奈良県
三尾の集落に入る左手前、道路と四郷川の間の一段低いところに
10坪ほどの平地があり、以前より「まのはら」と呼ばれていたとの事。
今から30年ほど前に、その場所に製材所を建てた人がいましたが、その後
その人の一家には変死者が相次ぎ、最後には全員が死に絶えたと聞いています。
ちなみに、今現在製材所は廃墟と化してますが、街灯がほとんど無い場所なので
夜に横を通ると雰囲気たっぷりです(;´Д`)
なお、川を挟んだ対岸の崖の上には鉱山の坑道が残っていますが、かつては
その坑道の中で幽霊が出没したという噂も聞いています。
271:天之御名無主
>>251さん
鉱山とか坑道って、独特の雰囲気がありますよね。
大抵は廃墟になってるんで、むやみにコワイ場所と化してる。
坑夫にも特殊なしきたりや掟があったようですが、
そういった事を纏めた本とかあるのかなぁ。
272:天之御名無主
> 鉱山とか坑道って、独特の雰囲気がありますよね。
> 大抵は廃墟になってるんで、むやみにコワイ場所
北海道のタコなんぞ有名ですなあ。いわゆるタコ部屋の語源だったり……。
むやみにコワイんじゃなくて、本当に非人道的な行為が繰り広げられました。
「タコ労働者」 で検索をかけてみてください。
273:天之御名無主
「お菊澤」静岡県・・・榛原町かな?金谷町かな?とにかく、牧ノ原
牧ノ原は、「布引の原」という別名を持つ。
昔、相良のお菊という娘が、金谷の大工と恋仲になった。彼女は夜ごとに
牧ノ原を越え、男の元へと通ったが、当時は原野であった牧ノ原は物騒でもあり、
やはり恐ろしかった。そこで、頭の上に糸枠を載せ、鏡とロウソクを立て、
白い着物を着、白布1反を引いて歩いた。怪物を装えば、盗賊などは近づかないと
思ったのである。
ところが、化け物の噂は腕自慢の者達を呼び寄せる結果となり、お菊は肝試しに
来ていた一人に斬り殺されてしまう。
彼女の殺された場所を「お菊沢」と呼び、祟りがあるといって恐れた。
太平洋戦争の直前、牧ノ原に海軍の航空隊が配置され、営舎が建設されることと
なったが、沢の周辺で事故が相次ぐので、お菊の祟りであろうと噂が立った。
沢の土を、大沢原の西光寺に運んで供養をしたそうで、地蔵尊が残っているとのこと。
昭和44年発行の本より。
287:死酷陣 05/01/30 21:37:01
香川用水が出きるまで讃岐は水不足に悩ませられる地であった。
特有の瀬戸内海気候のため、乾燥し、夏場はいつも水が不足していた。
水不足を補うため、隅々に溜池と掘割が作られた。
しかし、溜池の水では全ての田を潤すことは限界であり、
そのため溜池の水を巡って争いがあった。
讃岐には水に関し様々な伝承があり、それに伴い忌まれる地もまた多い。
M町の「まがつ田」もそのひとつである。
M家とI家が水のことで争い、M家のものがI家のものを殺し、その死体をこの田に投げ入れた。
下手人であるM家のものは、同じM町で磔にされた。
以後、この田は「まがつ田」と呼ばれ、所有者であるI家は耕作を放棄した。
この田を耕すものは熱病で死ぬと言われた。
大正時代にある政治家が所有し、耕作したが良くないことが続いた。
現在は荒地となっていて、所有者が立てた祠があるだけである。
農地改良事業の際にも、「あそこにはふれてはいけない」という意見が多く、
その土地には手を加えられず、今でも荒地として残っている。
288:死酷陣 05/01/30 22:06:00
溜池からの水は各々の田に水路を使って分配されるが、
自然に水を流すと、当然に溜池に近い田のほうが多く水を得られる。
よって、争いが起こらないよう、各々の田に水を流す時間は、集落の集いで決めていた。
当然に各田公平に水か与えられているのではなく、
集落の身分や力関係で決定されていた。
ところで、水を流す時間を測定するものは何であるか?
それは「線香」である。
ある被差別階級に属するとされた人の話である。
集落の身分上、水が与えられる時間はわずかであった。
しかし、より多くの水を得たいと考えたこの人物は、「燃えにくい」線香で自分の時間を図った。
当初は上手く言ったが、結局線香に細工」していることが発覚し、結局彼の田には、水は与えられないことになったという。
娘は売られ、息子は無頼の徒になり、夫婦は自殺したという。
残された田は「せんこうやみ」として忌み田になり、放置された。
農地改良事業により場所ははっきりしなくなった。
注意:投稿者には、いわゆる「部落◯別」を行う意思は無く、また反対するものです。
ですので、地名等については明記せず、一部は聞き及んでいる話の内容を若干修正しています。
292:死酷陣 05/03/03 19:28:33
雨が少なかった瀬戸内地域では、夏場に雨を祈る一方、川や池等が自然発生的に崇められてきた
「水主」というのは水を持っている人、ないしは水を蓄えている土地に対する敬意として送られた言葉でる
水主神社が、大小あわせていくつか存在する
ところで、昭和30年代に、ある地元資本の商店が町の繁華街に出店したが
この際水主神社を潰して出店した
地元の住民からは恐れられ、公然と批判する者も多かったという
経営は上手くいかず、出店した店舗どころか、商店自体も倒産した
地元の人は「水主様の祟りだ」とうわさしあった
以後、その土地で、様々な店舗が展開したが、悉く商売が失敗した
現在では、主要な道路が移ってしまったので、往時の賑わいは無いが
それでも比較的有利な土地なのに、いっこうに買い手が無い状態が続いている
水主さまの祟りといって、冠婚葬祭はもちろん、地元の中学生が定期試験の時も
「成績が下がる」といってその土地の前を通るのを避けるという
94:狼? 05/03/08 19:21:37
部落のこと忘れてない?
カワチとか色々言われようあるし…
もう一つおまけ
竹は聖と汚れ、この世とあの世の境目とされ、神社の鳥居と同等の扱いになるそうな
そこで、刑場を囲うのも竹、部落を囲うのも竹、昔の裁きで謹慎みたいなのをくらうときは、場合によっては竹で囲ったそうな
(春日の局の息子が裁きを下してだったかソレで悩んで自害したのは本当だろうか…?)
姥捨て山とかも同じようなものだろうな…
口減らしに使われたような土地とかは汚れが強いとされて忌み地になったんじゃないのかな?
328:天之御名無主 2005/09/17(土) 09:11:16
群馬県の神流川の近くには、首塚八幡宮、胴塚稲荷という滝川一益と
北条氏直の激戦の戦死者を祭っていますし、有名な関ヶ原古戦場の柴
井には西首塚(胴塚)があり、JR東海道本線の敷設の際、埋葬者の白
骨が相当量出たといわれており忌み地です。
八王子城のある高尾山も前田利家、上杉景勝らに率いられた豊臣勢3
、5万が落として後北条小田原本城勢に大きな衝撃を与えた地ですが、
屍が山を覆った八王子城跡は里人が恐れて足を踏み入れるのを嫌う忌
み山になっています。
しかし、首塚八幡宮では頭の病気や怪我にご利益があると知られ、参
拝者も多く一概に忌み地・忌み山はマイナスの性格だけを持つもので
はありません。
忌み山も多くは、奈良吉野の妹山のように、859(貞観元)年前に
大名持神社が山腹にまつられてから、周辺地城の人々の崇敬をあつめ
た忌み山として入山を禁止されてきたような信仰の山、神体山として
の性格から畏れられた為で、信仰上のご利益はあったのです。
奥多摩のお話も日原川、巳ノ戸谷周辺にある「忌山御前」にまつわる
伝説が元になっている話であり、山神に悪事なす行いをしなければ、
そう怪異を招く事はありません。すべては人の業だと思いますね。
332:天之御名無主 2005/10/04(火) 21:57:34
大きな大木にも神や霊が宿り、禁忌の地となった場所もあります。
大阪の梅田のど真ん中のよみうりゴルフガーデン(太夫寺の東側)の北の方
舗装道路の中央に、異様な鳥居と大木があります。竜王大神といい、龍
神の巳神さんを祭り、銀杏の神木が生えています。
大阪には、他にも切ろうとすると祟りや怨念を起こすご神木があります。
↓
http://ss4.inet-osaka.or.jp/~tochio/shimboku-meguri.html
335:天之御名無主 2005/10/06(木) 16:45:42
人がその場所を「忌む」のは、そこに汚れた物や怖い物があったからだよ。
昔は迷信や伝染病が怖くて近づかなかったの。そんな所、日本中にあるよ。
怖がる事はない。ただ近づかなければいいだけだ。むやみに近づけば・・・。

