山岳信仰ありきの登山
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民間信仰 (ちくま学芸文庫 サー29-2) [ 桜井 徳太郎 ] 価格:1540円 |
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富士山が有名だね霊峰・富士山の頂上は誰のものか? 一見、国有地だと思われがちだが、大間違い。実はれっきとした私有地であり、所有者がいる
所有者は富士山本宮浅間(せんげん)大社(静岡県富士宮市)である。
8合目以上の多くが浅間大社の境内にあり、16世紀に徳川家康から手に入れたが明治維新のどさくさに紛れて国有化された過去がある(詳細はググれ)
何十年と争われた裁判でも「私有地化」の判決が示されている。
富士宮市にある神社の境内には「富士山頂奥宮境内地行政訴訟勝訴之碑」と書かれた碑が建っている
http://www.fuji-hongu.or.jp/sengen/festivals/04_09.html
2013年6月に「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」が、ユネスコの世界文化遺産に登録された
富士山本宮浅間神社は、その構成資産の一つとなっている。
今のところ、「国有地じゃないから、入山料巻き上げてボロ儲けしようぜ!!」という話は無い
なお、アメリカ・カナダ等の国立公園は その大部分が国有地で 景観を損ねる建物や看板、自然環境や生態系に影響を及ぼすものは 規制がかかっていて、よほどの理由が無いとそう簡単には作れない
日本の場合は開発が早い時期から進行していたため、国立公園であっても実は私有地で、開発規制をかけてるだけというケースが珍しくない。
だから日本の場合、山頂に景観をぶち壊しにする人工物がゴロゴロあっても、私有地だったら規制が難しい現状だったりする
月山とか白山?
名のある山で山岳信仰と結びついてないのはほとんどないだろう。
おんたけが何やら始めたようだな。
熊野ならぬ、御嶽古道とかなんとか
そんな山の神をも恐れず、毎日毎日発破攻撃を浴びせて山を削り続けるのだから
資本主義とは大したものである。
採掘もそこそこ歴史があるから、
今では発破の神様とか石灰工業の神様とかが戦ってくれてんだろ…
白い服着てたな。
帰りに同じ場所見たら盛り塩と米と紙があった。
石碑も何もないところで、なんでここなんだろうと思ったな。
うさんくせえ高野聖の仕業
山頂に剣が刺さってるとか
殆どの山が地元で何かしらの信仰の対象になってるだろうね
近代登山以前の歴史が消えてるからな
あえて無理やりカテゴライズするなら仏様か
伝統ぶち壊しやがった。と、個人的には思うんだけどいい面もあったんかな?
歴史に詳しくないのでよく分からん。
地名とかで残ってる場合もあるし
おおやまくいやらおおなむちや大物主なら文句なしに山岳信仰やで
もちろん山頂には奥の宮
背景となる武力を失った。ミカドがこれに代わる軍事力として
頼ったのが、熊野三山の僧兵たちだった。
当時の社寺は広大な領地をもち、大名よりも強力な軍事力をもった
もうひとつの国家だった。それはのちの戦国武将たち信長や秀吉が、
比叡山や大阪本願寺、加賀や三重の一向宗の制圧に手こずったことからも
わかるだろう。日本で最初に鉄砲を量産し始めたのも社寺(堺、根来)だったくらいだ。
ミカドは南北朝に至るまで、何度か鎌倉(北条家)を征伐しようとして、熊野の兵
を頼んで挙兵したが、成功せず、逆に隠岐に流されてしまった。
この後、ミカドが本当の意味で政治の実権を回復した例はない。
幕末には、その経済力さえ小名程度に落ちていたと言われる。(別の話)
明治政府を作った薩長は、いわずと知れた関ヶ原の敗戦組だ。
関ヶ原の事前の予想では、西軍側が圧倒的に有利だった。
とくに広島の大藩であった毛利家は、敗戦は全く予期していなかったろう。
しかし、この結果、毛利家は芸州を追われ、本州末端の貧乏藩、
長州に押し込められてしまった。薩摩と長州はこの扱いを江戸時代の300年間
恨みに思い、関ヶ原の戦いでなぜ負けたのかを研究し続けたという。
幕末に至り、幕府の統治力が衰えたとき、薩長が今こそ関ヶ原の恨みを
果たすときと小躍りしたのは想像に難くない。
その300年間貯められた、長州の恨みのエネルギーやすさまじく、
幕府に味方した東北諸藩を征伐した戊辰戦争では、その過酷な、徹底した
掃討戦は東北人を恐怖させたという。今でも山口県出身と聞くと、
東北の人々は顔を強ばらせるくらいだ。
大木だろうと巨石だろうと何か神々しく厳かな感じがするもの、基本的に万物に霊が宿ると感じるアニミズムの世界や
素朴な神道じゃ、本殿は無く自然物の本体を拝するためだけの拝殿だけだからな
修験道というものはそれに後付けで仏教的解釈をしたもんだろ
まぁ、山頂に立って大山祇命だろうと何だろうと石の小祠があるとほっこりする
ありゃーいろんなもんまじってる
しかし、修験道がいわゆる神社神道かというと、そうでもない気がする。
修験道って半僧半俗で、山に入ったときだけ僧の戒律を守るという形でしょ。
一応修行なんですよ。神社仏教には修行という形態が少ないから、
やはり仏教と親和性があることになる。現在の寺は遺跡にすぎず、僧はいない。僧のコスプレしてる奴がいるだけ。
本当は仏教って、僧や法に帰依するもので、寺や建物は関係ない。
だのに、皆寺を見るだけで、僧には興味がない。僧ではないから。寺男。
修験道はかつては半俗としてバカにされたけど、僧がいなくなってしまったので、
半俗でも何かしら修行をしているだけまし。
在家の修行者という形が、現代のサラリーマンにも合いやすい形だから、
脚光を浴びてるのかもね。
ただし、修験道に興味をもつ人が多いけど、まだそこから何かを取り出して
きた人はいないような気がする。山に入れば効用はわかるが、それを言葉にできない。
また現代の修験は集団で、チームで山に登って、自己開発セミナーみたいなことを
しているようだが、それって本来の修験なのか?
集団で山に登っていた行者はいないような気がするんだが。

【7冊 合本版】よくわかる日本の信仰 仏教・神道・山岳信仰 (角川ソフィア文庫)
それを本地垂迹っていうんだけど、仏が主ってなるのが日本仏教で、神が主ってなると修験道だったと思う
修験の開祖は呪術者で空飛べたらしいしな
山歩いてて古びた役行者像に出会うと嬉しくなる!
いまいち性格がはっきりしない。
でも、ヒマラヤがあるインドやチベットに山の神がいないってのも不自然。
いないことはないと思うんだよな。知られてないだけじゃないかな。
どうみても○○明王や○○天みたいではある
マハーバーラタには女神ガンガーはヒマラヤの王ヒマチャルの娘との記載があったはず、
これも多分神様だろう。
縄文あたりからある遺跡が後の時代に上書きされている
その娘パールヴァティはシヴァ神の奥さんだし、純然たる山の神一族でんがな。
茨城の御岩神社凄いよ
宮城の柳津虚空蔵尊も
廃仏毀釈の影響一つも受けてない1500年続いたであろう形残してる
神社内に仏堂がある例は数は少ないものの幾つかはあるけど、ちゃんと神社の宮司とは別に住職までいるとなるとかなり珍しい。
逆にお寺の中の神社で宮司がいる正式な神社は山寺日枝神社や清水寺の地主神社とか結構あるけど。
境内ないし横に寺があるのが普通。神仏習合といっても、実際は僧侶(別当)管理なわけだし、
形式は神社だけど、実質は修験寺でしょ。
熊野がいい例。
沖縄に神社は少ないけど、あるのは熊野神社のみ。
これも沖縄には仏教はあったので、その僧侶が熊野に修行にいって、
勧請して出来たのが始まり。
沖縄には中国から勧請した寺はないのかなぁ?
沖縄も意外と内地とつながってた?
うちの近所の浅間神社は宮司がいくつかの神社を管理しててそのひとつみたいになってるね
しかし、明治に修験道禁止、神仏分離のおふれが出て、
なくなったところ、神社を偽装したところも多い。
しかし、お祭りのときなど、今でも修験系の僧侶が来て
仕切っているところが多い。
というのは、氏子の多くが修験者の末裔なのだ。一方、御嶽山や八海山のように、仏教色を排して、
教派神道系の修験道になったところもある。
しかし、それでも般若心経を唱えたりと、
仏教色は残っていて、やってることは大差ない。
ただ、日本では仏教は事実上、明治時代に滅びてしまって、
僧侶は還俗し、在家になってしまった。
だから、今の寺には僧侶がいない。
でも許されてるのは、日本人が寺を神社と同じように考え始めたから。
神社の神主は世襲で、在家と同じ、特別ではない存在だ。
というのも、神社はご神体や自然物を拝むところで、神主はどうでもいいからだ。
本来の寺は、僧侶に会いにいき、説法を聞きに行くところだったので、
ご神体や仏像を拝むところではなかった。しかし、本当の僧侶がいなくなったので、
人々は仏像や寺建築を拝みに行くようになった。
つまり寺院が神社化しているわけだ。
コスプレ僧侶は無視され、神主と同様のとるに足りる存在になってしまった。
僧侶が無視される仏教寺なんて、世界中どこに行ってもないよ。
すでに日本には仏教はない。神社化し、名所化した寺が残っているのみ。
そんなこんなで、在家で寺をもたない修験道が見直されているわけ。
修験道で修験者を無視する人はいないでしょ。話も聞くよな。
つまり、修験道にはまだ仏教の本質的要素が残っているわけ。
つまり、山を崇拝したり、自然物を拝むだけでは、修験とは言えないわけだな。
単なるハイキング。
そいつが何か言葉を発して、人に説法するようになったら修験道ではないかな。
修験に仏教の要素を見るなら、そういうことになる。
僧が特別な存在、なにかスーパーマンのような
特別の能力をもった人たちと考えられていたんですよ。
今、袈裟を着ている人たちをそういう風に見る人はいないでしょ。
でも、この要素がなくなったら、それは仏教ではないのよ。修験者はまだちょっと特別の存在風にとらえられてるでしょ。
だから、まだ仏教っぽいんですよ。
仏教は僧あるいは僧が説く法に帰依する宗教だからね。
山を拝んでるだけでは修験ではない。
マタギの信仰とか、熊を山の神として崇めてうんぬんとか。
民話とか民俗学とか。
しかし、これもまたクセモノで。
柳田邦男は、遠野に行かずに遠野物語を書いた。
東京で遠野から出稼ぎに来ていた老人に話を聞いただけだ。
田舎とか関係なく、都会のサロンで成立しているのが民俗学。
聞き語りが問題なのは、この種のことがうまいのは精神病者だからだ。
霊界物語とかをえんえんと話すのは精神病者に多い。
だから、民俗学と精神病理学は同じようなものだ。
そもそも寺請制度で強制的に仏教を信仰しろと庶民に強制したわけじゃない 江戸時代に
それが廃仏毀釈で取り払われただけでさ
仏教伝来より以前に山岳信仰ってあったわけで、それにより近づけたほうがよいのではないだろうか?
登山やキャンプなんて西洋にもヒマラヤにもあるわけで
都内・埼玉、色々回ってみた。
今でも登拝出来るところもあったりとか、かなり楽しい。
浄土平とかまさに浄土を想像したんだろうな
実は木曽御嶽教から派生した新興宗教は多い。
神懸かり的な霊魂降ろしをやるのが特徴。
大山倍達の山ごもりって知ってるよね。
でも、実はあれはウソで、実際は本土剛柔流の山口剛玄という開祖が
のがその山ごもり伝説のモデル。
彼は御嶽教の信者であり、毎年二回の山ごもりを生涯欠かさなかったという。
奥多摩の御岳山山も木曽御嶽の分社みたいなもの。
詳細は知らない。確か身禄というのが、二代だっけ。
弥勒菩薩をさしていると思う。
弥勒菩薩は西洋に流れてキリストの原型になった。
(ここまでは中学の歴史教科書の範囲な)
「講」というのは何も富士山だけのものじゃないよ。
そして、山岳信仰だけにあるものでもない。
昭和30年代くらいまでなら日本のあちこちで庚申様の集まりやってたぞ
富士山じゃなくてあっちこっちの山で見受けられる
そもそも信仰関係ない村単位の集まりも講っていうし
生きている神と死んでいる神がいるんだよなぁ
俺には地域によくある庚申講の石碑の意味がよくわからん
流行る神もあれば廃れる神もあるってことか
山は変わらずとも人間の解釈・世界観が変わるとか、ご神体としてあがめるものだったのが講を立てて巡拝するする対象になり、加藤文太郎何かは自己の研鑽の場としか考えなかった
人それぞれの思いを受け止めてくれるのが山なんだよ、山は自若としている、…どう対応しようとどう解釈しようと、あんたのその山に対する心構え次第なのさぁね
山に何かを求めようとする衝動は世界各地にあったろうさ、そこからド~自分の生き方の力を得るかここが問題やね
日本はいろんなものが混雑している
それよりも大同年代の一連の寺院・神社と鉱山、蝦夷なんかの絡みのほうが面白いと思うが
もののけ姫はよく出来てるわw
残ってるのは蝦夷の残した地名くらいで古代においての聖地のうえに神社寺院が立てられちゃったわけよ
これは日本だけでなく世界中でおんなじことが行われてる
滅ぼされた側の信仰なんていまとなってはとうていわからないよね
あと単純に蝦夷=アイヌではないらしいしよくわからんね
日本人が攻めていく前の東北の信仰ですか?
ドッケとかの山語ですか。
蝦夷=アイヌではないというのもよくわからんね。
樺太のサンタン人とかかな。大同二年で検索すると、坂上田村麻呂の蝦夷征伐とか
出てくるね。
東北は仏教はあんまり浸透しなかったんだよね。
みうらじゅんの見仏記でも、東北の仏像は笑っちゃうレベル
とかなってる。
それをひろめた奴らが問題なのであって伝承が真実ではない
そこで鉱山が絡んでくるわけよ
修験者と山の鉱物資源の関係を著した本があったような…
俺がすごく惹かれるのは平安以前、できれば仏教伝来以前の信仰
東北には解明されてないけどいくつか残ってるね
それだけ。仏を拝むのを仏教というなら修験は仏教ではない。
境界杭にもな
こんなところ絶対人入ってねえだろみたいなところにもあるからな
ごくろうさまなこった
恐山のイタコは修験道ではないですよ。
なんでもかんでもいっしょくたにしたらだめですよ。
剱岳の場合は立山の一部として見るべし。
剱岳は立山信仰では地獄の針の山に見立てられているから
登ってきたとは言いにくかったのかも知れないね
するといままでそこにいた蝦夷と自然に被るから衝突したり小競り合いがおこる。それでも大規模な抵抗ではないから、文化圏が違う蝦夷は西側から土蜘蛛とか呼ばれ野蛮人扱いされてどんどん北へと移動せざるをえなくなる
あるものは同化もしたろうがこうしたことが繰り返されてアルテイなんかの反乱がおこったわけだな
いわゆる山の民の生活感覚、生活圏図式、死生観
・修験道=宗教的修行としての非日常、山は結界を結ぶ異界であり、生活する
場所ではない、グループでの自己開発セミナー的なもの、麓の町での布教、呪術行為
・登山=趣味、楽しみとしての自然体験、都会人というよそ者による異界侵入、
自然と私との個人的対話、サバイバルゲーム、サークルでの社交活動山岳と信仰といったテーマ立てをした場合、こうした行動様式のそれぞれの間での
組み合わせになるかな。
鍾乳石に空海の御姿をうつしていたりとか、鍾乳洞内部が松明による煤によって黒くなっていたりとか。
知らずに行って、何度か行ってなじんだころ、麓に古い神社があって、
それが昔は栄えた修験寺(権現)だと知ることがけっこうある。
日原鍾乳洞、一石山神社しかり、与瀬神社しかり。
人が何かしら修行の意図をもって入るところは、昔から同じなんだなと思う。
山の民とかアイヌ、マタギの信仰とかは本州ではあんまり重なってこないんだよな。
作った妄想だよ。サンガとかも単なる浮浪者をさす警察用語なのに、一人歩き
して、日本に戸籍のない山岳民族がいると一時○○どもが大騒ぎしたしね。
この世界にも中二病が多い。
最近はアイヌではなく、山靼人とかギリークが流行ですか?これも中二病だね。
いやいや、もののけ姫のあれだよと、したり顔してみたり。しょせんアニメファンと
同類だよ。日本昔ばなしもアニメでしょ。要はアニメファンなんですよ。
漢字や抽象的思考が苦手で、漫画や絵本、写真、ゲーム、具象しか受け付けない民衆、
幼児、百姓、要はアホ。
そういうプリミティブな気持ちは現代人も普通にもってるからそれはそれでいいと思う。
あると思えばあるしいると思えばいるんだよ。
神社神道になるまえは山に竹と紐もっていって社つくって神をおろしていた
そんなもんなんだ
修験だってありやーほとんど中二病みたいなもんだから
モノノケ姫と大差なし
中沢新一:(要約)
神道はおだやかな自然を相手にしているが、仏教はもっと荒々しい自然の中に
飛び込んでいって、そこで死と向き合うことを本質としている。
山に入って行う修行形態は古代にはなく、8-9世紀の日本の都市化とともに始まっている。
修験道はもともと海の民が山に入っておこなう修行だったのでは
ないか(南紀?)。そこでは生命の根源は龍(ドラゴン)と考えられており、それが地上に
現れると山脈という形をとるが、この思考形態は南洋の宗教に近い。
やはり宗教に対する分析のセンスには非凡なものがある。修験道を海と結びつけて論じる視点は新しいのではないか。
たしかに修験道を単なる山岳宗教、山岳仏教として考えた場合、
なにか違和感が残るのは確かである。
日本列島は島国であるが、通常島というのは背景に山を控えている。
日本人の多くは、海岸の開口部に住んできたが、すぐ背後には
山脈が迫っており、南洋的なシャーマン的な心性を備えた呪術者が、
すぐ近くの山間で修行して、また町に帰ってくる。この南紀(熊野)から
イメージしやすい修行形態が、修験道のルーツ的なものではと言っている
のだろう。中沢は90年代には熊野に強い関心をもっていた。
中沢の説が当たっているかどうかは分からないが、修験道の装束や習慣が
単なる山の民である漁師や山菜採りとは異質なことは自明であろう。
白装束や潔癖な清潔感をもつことなども、山由来よりも海由来と考えた
方がわかりやすい。山彦と海彦をつなぐ宗教だからこそ、日本列島に
あって全国的にチェーン展開できたのかもしれない。
フィットしやすい、改めて注目を浴びているということなのだろう。
そもそも登山と形態が近いわけである。純粋な山の民であるマタギや山菜採りの人生観、生活観というものは、確かに
物珍しいかもしれないが共有はしにくいと思う。宗教・信仰ではなく、エスニック研究や
地方習俗といったキワモノになってしまう。
こちらは山に興味はあっても実際には登山には行かない、都会のアニメファンには
フィットするかもしれない。
社殿を有り難がる風潮は近世になってから 人が入れる大きさの神社が一般的になったのも近世(そもそも拝殿であって本殿とは別物)
山頂にある粗末な石の祠こそが古代の神社の姿
山そのものが神様だから、本殿がなく、山の麓に拝殿のみしかない神社というのもある。
だから岩そのものは神聖な場所ではあるけど神そのものではない
原始的な祠は竹を数本立てて縄で結んだだけのもの
たまに祠の四隅に竹を立ててしめ縄してあるのがあるがあれに近い
そうやって結界をつくって神に下りてきてもらう場所をつくる
外来宗教である仏寺が立派な伽藍を備えているので、神社も
対抗的に作るようになったのだとか。
そう、仏教の影響思い切り受けて社殿造るようになった
だからあえて仏教寺院の建物とは意図的に違う造りなんだよね
それらは普通の神社ではなく、権現と呼ばれている修験系であるのもだんだんに
分かってくる。登っている途中に突然現れる山神社のたぐい、小さな尾根の先端にも
ポストのような感じで社を形取った箱が支柱の上に鎮座していることもある。
藁で出来た神社の模型のようなものも富士山周辺の山村ではよく見掛ける。
これらを見掛けると、やはり登山者も自然に手を合わせてしまうものだ。
狐はその使いとされているのだ(山と村の間によく出没するので)。春日大社の
鹿や三峯神社の狼も同じ。日本でも神さん自体は姿がないとされているが、それでは
拝みにくいのでアバターを使うのだ。
もともとはヒンズー教だから
はっきりいって日本の神道とは全く関係ない異物だよ
似てるって勝手に言ってるだけ。
どっちにしろ誰にも証明できないし
ネットで妄想知識を戦わせる暇があるなら聞き書きマッピングして同人誌にでもしてくれ
それが出来るのはお前らみたいな物好きハイカーしかいない
なんとかだいたいの位置はわかったので軍手をはめて、木を掴みながら斜面をよじ登ったら、
神仏が祭られてる祠をいくつか発見して驚いた。 導かれた気がしたね。
一般の登山者にはたぶん知られてなく、しかし山伏らには知られてるんだろうな。
地元の人にも忘れられてる祠なんて無数にあるさ
アイヌの痕跡なんて全然見掛けないね。地名くらい。
検索してみても、せいぜい巨石信仰くらい。出雲の神さんというのは、一応修験とは別だったらしいが、
大山、立山、白山、出羽三山には祀られているとか。
https://www.hotel-nagata.co.jp/2014/06/17/14163
なぜかはわからんねぇ。
僧侶や修験者は、手形なしで関所をフリーパスだったので、
平安・鎌倉時代には朝廷側の密使としてよく使われた。
忍者に近いわけだよね。
幕府の隠密もそうした姿に化けて、敵に見つからないように
奥地の山野を駆け抜けた。
山伏が山道で未知の山伏に会うと、山伏問答というのをやって、
相手が本物かどこの山伏かを確認しようとした。
https://blog.goo.ne.jp/fukujukai/e/fca0545e6e9ed46348a8b962b485f086
youtubeで村山、山伏問答で検索すると実物が見られる。けっこう面白い。
歌舞伎の勧進帳、兄頼朝と不和になった義経が、山伏姿に変装して奥州に落ち延びる、
加賀の関所で見破られそうになってうんぬんの勧進帳でも
山伏問答はある。問答が面白いので、歌舞伎に取り入れたんでしょうねぇ。
https://blog.goo.ne.jp/yokikotokiku/e/0ff6c3149459e2a5f9bf76c389514b1e
ということのようですが、船乗りと修験はけっこう関係しているようです。
修験のメッカ熊野は熊野水軍でも有名ですが、その水軍の親玉である九鬼家は
熊野別当でもあったようです。
今調べた検索知識で悪いですが。
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=5266742&id=67097813
他にも三浦水軍と修験
https://s.maho.jp/book/d7d677b187b66bf8/6746261001/216/
鍾乳洞好きなら郡上には5つある。期間営業の縄文洞はいいよ、照明設備なしで懐中電灯で入る。縄文人の住居跡でもあって、史跡名は地獄穴。昔の人には地獄に続く穴に思えたろう。
地獄って概念は仏教(大陸の思想)由来逆に仏教には 神のバチ って概念が元々なくてソレは神道由来
知ると面白い
仏教導入後、平安辺りで上位貴族が地獄絵図に震え上がってビビってた
っていうの佐倉の歴博いってきたら展示してあった気がするけどうろ覚え
私ら庶民は精々南無阿弥陀仏ありがたやで良く分からないですwスレタイ的には御岳山で白装束の人のこちらからすると奇行に見えるのを
見たことがあるけどマジびびったです、急に大声あげるのであせったw
>>195
「ハマーン、お前も田中と同じ気持ちか?」を勝手に思い出した・・・(スマン)
あとはインドのエロ本ネタとか?(ぐしゃぐしゃクシャトリア他)
タイのふつうの地域祭りで、ウルトラマンショーみたいな感じで
ハヌマーンショーを見たことがある。
盗賊とか悪いのがいると、ハヌマーンがやってきてボコる。
子供の反応はウルトラマンとほぼ同じね。
おれが昔やってた剛柔流の家元が御嶽教に凝ってて、
(京都の鞍馬山で修験者にあったのがきっかけ、
新撰組の屯所跡で道場を開設)
生涯年二回の山ごもりを欠かさなかったとか。御嶽教は霊降ろしをやるみたいで、恐山とちょっと似てる。
木曽御嶽は御嶽(大峰、金峯山)の分社で、のち独立。
武蔵御岳は木曽御嶽の分社らしい。神道系。
大事だったのかわからない。大山詣では富士山遥拝とセットになってたらしいんだけど。
富士山の話題は王道すぎるか。
江戸時代からの信仰登山は講が中心だからな
講が競って石碑を建てたんだろうな
あれは相模の国のクニミタケでしょ
けっこう目立つから信仰の対象になるのはわかる
大山詣では江戸から行くときに
箱根の関所を越えずともお詣りできる気軽な部分があったとか。
神道はお伊勢山岳信仰は大峰山
https://president.jp/articles/-/29001たぶん、大菩薩峠に出てきた島だな
入ってはいけない世界。チベットなんかでもそうみたいだけど。
高地に住んでる人は登山なんかしない。中国の仏教には山岳修行があって、これが修験の元ともいわれる。
空海とかだね。
(・ω・)美濃定禅道は二回に分割して踏破したぞよ。
天皇側は鎌倉をやっつけようと何回か兵を挙げるが失敗。
その都度吉野の武将らは各地に流された。
最後に南朝。いわゆる亡命政権だが、近すぎるのでは?
一気につぶせなかったところを見ると、南朝側もそれなりの勢力があった?さかのぼること、源平の乱では、水軍を中心にした平家と陸軍を中心に
した源氏。平家についていた熊野水軍が源氏に寝返ったことが
勝敗を分けたという。天皇家はその熊野水軍=熊野三社に接近したわけだ。
僧侶、修験は全国どこへでもフリーパスだったので、天皇家は
修験者を使って、全国から勤王の武将を集める工作をしていたらしい。
それが頻繁な熊野詣での真の目的だったと思われる。
室町時代に比叡山と本願寺の勢力争いで蓮如(本願寺)劣勢やったんやの。
(・ω・)蓮如の史跡をたどるんも面白そうや。
いろいろ種類があるんだよね。鳥居も種類があって、修験寺は両部鳥居(真言系)なんだよね。
ちゃんとそうなってるから大したもんだよ。
ただ、山は死と隣り合わせだから、
神っぽいなにかを感じることはあるかな。
遭難しかけたときとか。これ超常現象って思うときはある。
富士山のときもそうだった。
ただ、遭難しかけてるときはそんなことに構ってはいられない。
あ、そうかもねと思いながらテントを張る。
岩とか木とか滝とか。狐とか。対象物がないわけではない。
理屈ほぼなし。中東や西洋のやつは、人間は神の似姿という理論が入ってくるからな。
理論ありの方が立派な気はするんだが、
どっちが強いかといったらわからない。
宗教心は単純な方が強いという気がする。
ただ、偶像がないと人は拝めないようだが。
550年に仏教が入ってきてから神道の原型ができたのが面白いそれまでおぼろげな信仰が縄文時代から確かにあったんだけど、仏教が一般に広がって初めて民が宗教という物に触れて、仏教寺院が各地に作られ始めると意図的に仏教寺院とは全く異なる造りで、社殿という物が作られた
忘れ去られてこの先も解明できないだろう
文字もない時代だから遺物でしか知りえないのもまたロマンだよな
木は朽ち果てるから今残ってるヒントと言ったら土偶とか環状列石位かな
三教指帰には神道は入ってないな。
空海は山修行もやっているが、それを日本古来のものと見るか、
中国修験の伝来と見るか。
まあその種の講座本はいくらでもあるでしょう。
頂上はまあありがちだけど、大きな岩とか、滝とか、なんか景色が良いとか、昔は小屋でもあって泊まれたとか。そういうところは古代の人と同じ感動してるんだと思うようにしてる。
地蔵とか路傍の記念碑とかに、なにかしら会釈をしたり、手を合わせたり
といった行動はすべての登山者に見られると思う。
これと登山者がよく作る「ケルン」。
両者の関係性はどんな感じなんでしょ?
山岳信仰からくるものが先?
それより前からあった?
「ケルン」という呼び名からして、海外(ドイツ?)から伝わってきた習慣?
それが仏像やお地蔵さんにも流れた?
小石を積んで造ったという結果の形だけが同じなだけで、精神的には全く別のもの?
もともとは道標だろう。
貰えるからだろうか?山の辺の道
http://shigeru.kommy.com/kanayanison21.jpg
柳生街道
https://smcb.jp/resize/w/800/h/800/images/uploads/537cfa3d-1f8e-43e1-a56e-8255f6fe48aa.png
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/fb/095a45dbd961fb1415897c3426a32e6c.jpg
ここまでのものはおれはあんまり見たことない。
明治の廃仏毀釈をよく生き残ったもんだ
不思議いっぱいでそれでいて地域差もあって
神仏混合七福神、そもそも山自体を崇め奉ってるのだからなんでもありあり
それでも十分凄いと思った。
滝行の行場なんてのもちゃんと整えられてる。
だれが金を出すんだ・・・大したもんだぜ
羽黒山・湯殿山には参拝したけど。
あと尾根筋の巨岩に登りすぎ
感得ってまさにこういうの
こういう幻覚を狐が見せたと思えば稲荷信仰をしたろうし
単に山が見せたと思えば山は異界に近いと感じたろうよ
こういう神秘体験に山は近かったんだよ
年寄りとか狐が騙かすとかマジで信じてるのいるしな
それだけ山が、神秘体験が近かったってことさ
あの爺ちゃんが見た
あの婆ちゃんも見たとか真顔で言ってたら、ああ、山はすごいんだなと感じたと思うよ
山に入るのは神の領域にお邪魔するって事だし。
そりゃナメたらあかんわ。
道端にお地蔵さまとかある。
そーゆーのいい。
昔の人は草鞋で峠越えて隣村まで行ったんだろうなとか考えながらダラダラ歩く。
わかる!
東京近辺だったら奥武蔵とか浅間尾根とか笹尾根とかね
古いお地蔵さん、馬頭観音、石の祠などがあって、昔の人が歩いてる道と同じ道を歩いてるんだな~としみじみ思うよね
古甲州道というのかな。
小河内ダムの辺りから檜原へ入る古い山道とかもあったような。
小菅から南下して富士山をめざす道もあるとか。秩父からの富士講の道だな。
いろいろ地図を見ていたら、高崎から松本が意外と近いと気づき、
高崎-軽井沢-碓氷峠-和田峠-塩尻(松本の南)
これがいわゆる中山道なんだね。
お供え物、お賽銭なんかも。
すごく良かった。信仰の山は大好きだなぁ
古甲州道とは、小菅から、いわゆる牛の寝をとおって、大菩薩に行く尾根ルートらしい。
そうか、昔の人(戦国時代)は、そういうルートを歩いていたのかと。小菅から大菩薩に行くルートをだいぶ前から計画してたんだけど、実行には至っていない。
小菅からの長い林道は陰気な道だというひとが多いからだ。で、二の足を踏んでたわけ。
牛の寝という尾根道があることは知っていたが、それが古い甲州道だとは知らなかった。
もしそうなら、そっちの方が明るそうな気はする。広い尾根らしい。
大菩薩は山梨側から登るのがふつうで、小菅から登る人は少ない。
でも東京の人としては、やはり東京都に近い側から登りたいよね。
牛ノ寝通りは良いですよ~
登っても下っても、新緑も紅葉も
ぜひ歩いてみてください!
昔の人がどんな思いで歩んだのか考えながら。
古代の道は大体山の尾根を通っている。川沿いの道は、現代の林道のように土木工事を必要とするし、
崩壊しやすいので、つねに修理しないといけない。
だから、周囲に人数の多い村がふつうにあるような時代にならないとメンテできない。
だから、人口の少なかった古代の道は山の上なのだ。
つまり、ふつうの登山道が尾根沿いなのと同じ理屈だ。
山の頂上をめざす登山はあまり盛んではない。
これに対して、日本の登山は頂上をめざすし、尾根の縦走が主役だ。
国民性もあるのかもしれない。
秩父の人が富士講で富士山をめざした道らしい。
まあ、日本橋や関西から比べたら、秩父は富士に近いわけだけど。松姫峠とかを通っていくらしい。地味な山コースだけど、登山道沿いに意外と多くの富士講の
遺跡とか残っているらしいので、おもしろいかもしれない。
松姫峠などは上野原からバスも通っていたと思うので、アクセスも悪くはない。
仏教、神道いずれでもないようだ。
ただ富士山を拝んだり、登ったりしていたわけではなく、道徳とかモラルをも説く、
宗教のようなもの。ただの旅行の積み立て金団体ではない。
江戸の農民や商人が主だったらしいが。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9F%E8%A1%8C%E8%BA%AB%E7%A6%84
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E8%B0%B7%E4%B8%89%E5%BF%97
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9F%E8%A1%8C%E6%95%99
この辺を読むと、なんとなく方向性がわかります。
身禄が活躍した江戸中期は、まだ村山など修験道系の富士信仰が強く、
呪術、病気なおしなどを行う山伏に、身禄は反感をもち、
儀式や山に登ること自体よりも、そうした修行の末にえた正直さや勤勉などの
モラル、精神性を重視するようになる。
カトリックに対するプロテスタンティズムとでも申しましょうか。
これには、本宮口に対する北口、吉田口という対抗心もあったと思います。
静岡側は、京都や西との結びつきが強く、吉田口は江戸、関東中心です。
関東勢としては、西国とはちがった宗教観を主張したのかもしれません。
江戸の富士講信者には商人が多かったことから、正直、勤勉などの
商人道徳のようなものを重視する、実践道徳という感じになったのかな。
大山街道とか歩いたことあるけど、さんざん。
関東で見世物になったりした後 生まれ故郷に戻った。こちらでは富士講の行者さまは珍しいから拝みに行った事がある。山形の即身仏みたいに金襴の衣は着てなくてちょっと切なかった
余所と同じく出入りは山域・境内地共に全く規制無し。
全くのデマなんだか、もしこの話しに原因があるとしたら最大の修験行「秋の峰」で女人は受け入れてなかったのを、別期間に短期の女性用の神子修行なるものを新設したのを以て解放されたって言ってるのかもしれない。
ちなみに↑は出羽三山神社主催のものだけど、本来の羽黒修験の伝灯を引き継いでる荒澤寺正善院ではとっくの昔に同じ修行メニューの秋の峰が解放されている。
女性を参加させない。これを始めて破ったのが、1980年のメスナーなんで、
日本より女人禁制のタブーは長かった。
チベットでももちろん山の神域には女性は入れない。山の神が怒るから。
よって女性登山隊にはシェルパ族が同行しないので、ヘリコプター登山になる。
日本の地質は黒ボク土が多い事から焼畑が盛んだった事が分かるから山焼きしながら遊動して暮らしてたんだろね。
目安にしてた巨石とか遺物が時間と共に信仰対象になったりしたんかね。
知識がないし何か入門書を読まんといかんな
神道 仏教 密教 道教 が複雑にミックスされて完全オリジナル
明治クーデター政府のおかげで詳細はわからなくなってしまったのは痛恨の極みだけど
北東北で熊野系(天台宗系)の修験者がこぞって巡礼した地があった。
それが十和田湖。十和田湖の外輪山に登り、更に湖畔まで降りて、湖畔沿いを移動し、最後に御堂に参拝し、危険な崖を登り、
更に湖畔に降りて、南祖坊が八郎太郎に勝ちそこで湖に入ったとされるオサゴ場で占いをするのが全目的。
南部藩だけではなく、八戸藩、仙台藩からも参拝者が来た。しかし、江戸時代には秋田藩は真言宗となっていたので
参拝者はいなかったという。津軽藩は、2代目藩主が天海僧正の弟子だから、天台宗だったが、南部藩とは犬猿の仲
なのでこれも参拝者はいなかった。
昔は比叡山の山王系の行者が多かったそうだけど、廃仏毀釈がけっこう激しかったので習合の名残りを探してます。
・雨乞い ・雨を止める ・無病息災 ・豊作 ・安産 ・病気平癒 ・他人を呪う などなど
これらは体系的な思想?があるのではなく、色んな信仰・思想をごちゃまぜにしたもののようだ。
仏教 神道 道教 陰陽道 修験道 その他。
神仏その他ハイパワーを持つ超越的な存在があって、それに対して色んな方法で祈りを捧げる、願いごとを
聞いてもらう・・・というが基本形かな。
木の札や紙に何か書いて飾る系のものが多いと感じたな
それで修験道が何かというと山に入って修行を積んでハイパワーを得て、そのハイパワーで人々のために
加持祈祷を行うというのが目的のようだな
「加持祈祷」のウィキペディアを見たら昔は上は天皇から下は庶民まで真剣に行っていたようだ。
何かあったら加持祈祷。病気になったら加持祈祷。天候が不順だと加持祈祷という感じで。そうした社会の中で
修験道も生まれたようだな
これらの行為の中で明治時代に禁止されたものがあるようだな神仏分離
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E4%BB%8F%E5%88%86%E9%9B%A2
天社禁止令 陰陽道・陰陽師禁止
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%A4%BE%E7%A6%81%E6%AD%A2%E4%BB%A4
修験道廃止令 17万人の修験者が失職?(今の時代に換算すると60万人?)
http://www.relnet.co.jp/kokusyu/brief/kkouen24.htm
加持祈祷は禁止令が出てないんだな
道教禁止令も出てない
↓
富士宮市
http://www.city.fujinomiya.lg.jp/sp/fujisan/llti2b00000012tx.html
1噴火や溶岩の流出を繰り返す富士山は、恐ろしく且つ神秘的な山と考えられ、古くから遥拝の対象となった2繰り返す噴火を鎮めるため、富士山そのもの或いは富士山に鎮座する神を「浅間大神」として祀るようになり、各地に
遥拝所としての浅間神社が建立された
3日本古来の山岳信仰と密教・道教(神仙思想)が習合した修験道の道場ともなり、修験者などが山中に分け入り、
霊力を獲得するための修行する山へと変化していった。
4神仏習合思想(本地垂迹説)により、山頂部は仏の世界(または仏が神の形となって現れる場所)として認識され、
山頂部に至ることが重要な意味を持つようになった。
5富士信仰が大人気になって多くの人が富士山登頂を目指した
6神仏分離・修験道禁止で仏教的施設が神道系になった
そう だから未だに「せんげん大社」と音読みするのは神仏習合の名残
神社の読みは訓読みが基本 だからほとんどの浅間神社はあさまと読む突き詰めれば神社をジンジャと読むのも間違い
2富士山そのものが神様(富士山そのものが浅間大神?)
3富士山に入って修行すると霊力(超能力)が得られる(修験道)
4富士山頂に行くことが重要(これも修験道か)
密教系の人たちだが、この人たちは
「大日如来を富士の神である浅間大神の本地仏である浅間大菩薩とする」
・・・・という信仰を始めたようだな
つまり、浅間大神=木花咲耶姫=大日如来=浅間大菩薩 ・・・であるようだな
愛宕権現がいる愛宕山頂(元白雲寺 現愛宕神社)に登拝することが重要であるということ
なんだろうな
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%86%E6%95%99#%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%AF%86%E6%95%99もうわけわからんな
どっか簡潔にまとめてある本とかサイトとかあればいいんだが・・・・
1 インドのシャカが始めた仏教
2 シャカの仏教が大乗仏教と上座部仏教に別れた? それとも大乗仏教って新しい宗教?
3 600年頃に日本に入ってきた仏教と仏とは?
4 空海以前の日本仏教がどうなっていて、その後、空海が導入した密教と混じってどうなった?
大日如来だのなんとか神将だのなんとか天だの紹介してあったけど、これってシャカが
始めた仏教とは別の仏なんとちゃうん?そういうこと書いてないし、わけがわからない
この点を見てもシャカの仏教と密教は別なんちゃうん?
↓「密教」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%86%E6%95%99#%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%AF%86%E6%95%99
タントラ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%A9
>修行者である瑜伽行者がしばしばタントラに書かれていることを文字通りに解釈し、あるいは象徴的な意味を持つ
>諸尊の交合の姿から発想して、女尊との性的瑜伽を実際の性行為として実行することがあったとされる。
オウム真理教で麻原彰晃が信者の女性とS◯Xしていたそうだが、「タントラ」とかいう考えを忠実に実行していたのであろうか?
秋田県の何気ない山を登ってみると山頂に太平山という碑があったりする。
神社にも太平山の碑があったりする。山形県・宮城県・青森県・岩手県・福島県や北海道などあちこちに、太平山神社があったりする。
しまいにはブラジルにも太平山神社がある。どうも江戸時代後期に太平山講という宗教が混じった「たのしみ会」みたいな集まりが広がって、年に一回太平山登山をしたり、里宮にお参りをする活動で広がったようだ。北海道その他へは秋田県人の集団移民で広がったとか。
仏教が入ってきたときに神道的な考えと合わせたのが修験道や
大体、神道に修行なんて考えはない
修行するのは仏教の小乗的な考えや
修験道が仏教伝来以前にあるわけない、そんなの妄想やで
仏教伝来以前にあったのはあくまでも神道や
仏教が入ってきたときに神道的な考えと合わせたのが修験道や仏教や神道の本旨は山に登ることなのかい?
神道を一括りにしてる時点で勉強不足だな
そんなことは書いておらん
どう読んでるんや?
神道はどこで拝んでも一緒やろ何の為の遥拝所や
胡四王、古四王、巨四王、小四王、高志王、越王、腰王、小姓神社とかね。
例:八坂神社→祇園社 感神院 信仰→牛頭天王
領主の変更や改革で入れ替わったり移転してるし簡単じゃないよ。
ユーザー側の当時の流行りとかもあるから
一村一社政策も忘れないでね。
蓼科山、常念岳、etc.
古の霊山でもないし、そもそも明治期以降、近代登山が始まるまで里の人に知られていない山もあったし。
そんな取ってつけたような祠に有難味は感じないなあ。
「奥山廻り」という国境警備の仕事が古くからあるけど
里宮があるから寄ってみて
風土記というのは奈良時代に土地の古老から聞いた話をまとめた本な。
奈良時代に古老から聞いてるんだからものすごく古い(笑)それで、継体天皇の時代に土地を開梱する時、蛇の姿をした神が邪魔を
するので打ち殺して、その後きっちり社を建てて神として崇めたらしい。
そして次に孝徳天皇の時代にも堤を築くときに邪魔をしてきて(また?(笑))、
「天皇の威光に従わない神はどこの神か。殺すぞ」と脅したら逃げ去ったらしい
これらを夜刀神(やとのかみ)と呼ぶらしい
こんな感じで超パワーを使って人間の営みの邪魔をする存在も神なんだな。
人間側もあの手この手を使って神に抵抗するわけだが。しまいには殺したり(笑)
最後は妥協して(?)社を建てて神と崇めるわけだがは「我々の邪魔しないで
ください」って祈ることがその内容なんだろうな
山岳信仰と関係なかったか?(笑)
川越の宿。宿なのでかなり立派な建物。
御札が大量に貼ってあるだいぶ前に国立民族学博物館に行ったとき江戸時代の庶民の家屋が
再現されていて、この水戸黄門のセットよりも粗末だったが御札が大量に
貼ってあってその点が同じだった。
昔の日本人はありとあらゆる神仏・教えを信奉したんだな。
あらゆる神仏・教えのええとこどり
https://i.imgur.com/nMJrInU.jpg
https://i.imgur.com/pOAgFfc.jpg
https://i.imgur.com/3stL5Yb.jpg
判別できるのは・・・・
住吉大明神 大神宮(どこ? 伊勢神宮?) 春日大明神(春日大社だろう)
天香児山(弥彦神社? わからんな) 秋葉大権現 天照皇大神宮(伊勢神宮?)
牛頭天王(祇園社?) 今宮神宮?今富神宮? 金毘羅大権現 水天宮
当時、これらの御札は近所の分社から入手したのか、それとも総本社まで誰かが
出向いて入手したのだろうか?
講
集落内で旅費を積立といて代表者が毎年行くんだよ。
>>752
今でもあるよね。
くじ引きしてな
良い文化だが引っ越しが盛んになって廃れて二度と戻らない文化だな
あれに神を感じるのは普通だと思う
今、それ関係の本を読んでるんやけど、むっちゃようけおったらしいな
どれくらいおったんかわからんけど、街道や山道には修験者らがうじゃうじゃいた?天台宗が比叡山を本拠地にして真言宗が高野山を本拠地にしたのは理由が色々
あるんやろうけど、山での修行ができるように いうことやろなあ
けど、修験者を統括する醍醐寺・聖護院は平地にあるという・・・ 何故なのか?
聖護院なんて門跡寺院でしかも仮皇居にもなったことがあるという。知恩院でもなく
本願寺でもなく大覚寺でもなく天龍寺でもなく、山伏を統括する聖護院に皇族・
上級貴族が入るという意外さ
山伏とか関東方面では身近な存在では無いからさ>>908 の誰かが上げてくれたレポートを見てみると宗教的儀式と呼ばれるものでも、宗教的意識を持たずにやっている人が大半と見受けられるので長い年月の中で暮らしに根付いた行為って事で良いのでは?って個人的には思っている。
その理由というのも修験道の開祖と呼ばれる人が日本人初の登山家としてwikiに載っていた。
山の上からのご来光とかなんか神々しいもんな、それに感謝したら今で言う宗教なのか?とかね。
いかにも古代ゆかしき場所にして、長く続く石階段の両側には、杉の大木が林立し、夏尚寒さを感じさせるものがある、入口の大石に、梵字が刻まれているが年代は不明である。さらに、神社裏山を登れば村民が奥の院と称する岩屋があってここにも梵字が刻まれ、天保三年と記されており里人は、修験者の行所と言っている。と書いてあって、天保だからそんなに古く無いっぽい?山の方の碑なんかは古いので718年とからしいからこっちの方が断然古いっぽいけど詳しい事は書いてない
立山曼荼羅とかもそうだけど信仰のある山って全国にあると思うし良くあるものなのかもしれない
逆だな
山登ってご来光見たら今まで無神論者だったのに何やら神性を感じて
奥駆け(山伏の修行)に参加したいと修験道に目覚めた人が来てたぞ
その流れは良いと思う
山岳信仰のあった山とか謎に古びた謎なものとよく分からない看板とかあったりするし
日の出と日没が太古から続く何かを呼び覚ますってのも普通かもね
関西の方か
俺はクライマーだったんだけど
近代的な道具がズルなんじゃないかと古式の方法が知りたくなったのが動機かな。
んで、田舎は人手が無いので集落の人に即戦力にされてしまい行事とかも手伝いしてる。
この前まで名前と服装ぐらいしか知らなかったんだけど、
これってどんな修行をしてるの?山岳信仰とは別もの?
山(自然)をリスペクトしてるサークルかな。
ウチの所はあんまりアレなのは禁止でこれからはホワイト化する方向
あくまで現代人だから山入る期間以外は普通に生活してる
とはいえ習慣で規則正しい生活にはなるかな。
超能力は無くて呪術的なモノは知ってるけど今時じゃないのはやらないし
宗教はやらないけど転びそうなお爺さんお婆さんが来たら助けて
落ち込んだ人を励まして見送り
深夜から掃除して皆様のお越しをお待ちしております。そんな感じ。
動機は個人的興味だ。
宗教はやらないって得度は受けてない人なのかな?
修験は在家の実践宗教だぞ
そう簡単じゃないの
ウチんとこは神社系だから
熊野、愛宕、秋葉もそう。形式的に神社にしてる所も多いよ
んで、坊さんも来るよ。その辺は山の仲間なんだよね。
呪術っていうのがあんまり聞きなれなくて、いまいち分からないんだけど陰陽師的な?魔術では無いんだよね?この前調べてて忍者とが手を組むのも山伏との関わりがあると読んだんだけど…
それはココでは書けんけど自主的に日常の贅沢に制限かけてくんだよ
体験ツアーにするか先達さん(先輩の事ね)に弟子入りして一生の付き合いや
信頼できる仲間ができるかはその人次第だね。
強制とかはないけど本人が何を思いどうするかはみんな観察してる。
だから僧籍もってて駄目な人もいっぱい居るよ。
そんなに日常的に今も山伏って居るんだね。この行為(呪術)の背後には超自然的存在に関する信仰が存在することが多いが、信仰が呪術的行為の前提であるとは限らない。
J・フレーザーは、呪術が超自然的霊格を統御することによって目的を達成しようとするのに対して、宗教は霊格に対する懇願であると述べて、両者を峻別した。って在るけど
本当にそんな人が居たりするの?全く見えて来ないんだけど
伝統的な事は知ってるけど
呪いとかマイナスの方向は今時やらないよ。ウチはそうゆうの禁止だし
よい力をつけて前向きな方向で帰ってもらいたい。
どちらにしろ怖すぎるから一歩引いておきたいけど
白いのと黒いのがある?今読んだだけなんだけど。
聖書とかにも祝福と呪いって書いてあるしなんか気になって
自然に身を置いて謙虚さを知る為であって魔法使いじゃないんだよw
西洋を受け入れて近代化した時にそういうのは遠くなったんです。
剣道はあっても警察になって侍は居ないでしょ。
役小角 (634-701) 修験道の開祖。富士山や御嶽山を開山した伝説が残る現代の山伏を教えてくれた人ありがとうございました。
修験禁止令からせっかく復興したのに勿体ないな
道に教えという概念は無いよ。新興仏教と一緒にするなよ
教えとやらの保証できんのか?
んで、地元の人の同意があるんで
他所の人に気にいらない言われても困るんだよw
つまり伝統的な教えはないと言い切っちゃってるのね
>道に教えという概念は無いよ。新興仏教と一緒にするなよ
>教えとやらの保証できんのか?
つまりその先輩の先輩が伝えてきた教えを体系化することなく
時代に応じて教え自体がどんどん変わっていくのを旨としてるのが神道の修験道なの?
>んで、地元の人の同意があるんで
>他所の人に気にいらない言われても困るんだよw
気に入る気に入らないの話ではなく修験道か宗教性を否定してその先輩の先輩とやらからの教えと連続性が保てるのかね?
時代に応じて宗教性を否定した現代風修験道もどきに自分から変えてしまったらもはやそれは別物では?
>教えとやらの保証できんのか?これで何を以て修験道と言ってるのか意味不明だよね
こんなの何でも言ったもの勝ちになっちゃうからそれこそ現代の新興宗教になっちゃうだろ
伝統は伝統でそのまま残して、現代に応じた教えを追加するのは許されているのが
伝統の教えすらない、教えの保証を他者に求めるのはどうかと思うぞ
仏教系の修験道は弾圧されても寺で守られたから現代に残っているけど神道系はもはや連続した伝統の教えがないと開き直ってるとしか読めないから本当に勿体ない
人件費かかるから費用も出して
つまりそういう神事をやめたからもはや宗教ではないという事なんだね宗教ではないと言い切っちゃってるの部分が引っ掛かってるんだけど
根本的に修験道は大自然を含めた神仏を拝むことが前提の宗教だと認識してるんだけど
宗教ではないという事は神仏すら拝んでないのかい?
形だけの形骸化した作法でやってるのが君の神事の修験道なのかい?
貴方の教えと私の教えは別なモノだから同じ教えでは無いよ
だから宗教と一括りにされては困るよ
また、寺社にはそれぞれの事情がありキッチリ同じじゃないの
あとね。道は教じゃないの
質問から逃げてるね宗教を否定して修験道が成り立つのかという単純な質問
神道系の修験道では大自然を含めた神仏を拝まないのかい?
志願御苦労。やめても無いよ。祭りの用意するよw
んで、お寺さんが管理者の神社もあるから
>だから宗教と一括りにされては困るよ
また、寺社にはそれぞれの事情がありキッチリ同じじゃないの
>あとね。道は教じゃないの
こんな何とでも言える話で逃げてるだけ
結局は言ったもの勝ちの新興宗教としか
神仏を拝むのに宗教性を否定してる事が自己矛盾だとわからないのか???
なんであると思ってんのさ?
だから神仏は拝まないの?
屁理屈しか言えないのか?
神仏とは人間の力や自然の力を超えた存在への信仰だとまで説明しないとわからないの?そもそも山を拝むのは神性があるからではないのか?
ただ山そのものに頭を下げるのが神道の修験道というのかよ
それからは先は人それぞれです。
だからウチに坊さんが来ても仲良しなの
山伏グループにそんな事言われても困るw
とりあえず落ち着けよ>そうだよ。偉大なものには頭を下げるそれだけ
つまり山に神性があるからこそ山を拝んでるというのは認めてるんだね
それが宗教なんだよ
それを他者には押し付けていないというだけでその修験道の人たち全員が宗教性を否定していたらそもそも山を拝まないし修験道が成り立たない
なので宗教ではありません。
神社で初詣してクリスマスを祝い寺で葬式をするというようなもので
西行法師の何事のおわしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる
というような何が祀られてるかわからないけど有り難いと手を合わせる
一般的な日本人の宗教観は無神論ではなく、お天道様が見てるとか、こういう伝統的な考え方も宗教であり民衆に身近であった修験道が宗教性を必死になって否定する意味がわからない
そこは分けてくれないと困っちゃうw
>そりゃ宗や教えは無いからさそれは神道そのものの話であって修験道と名乗ってるのに宗や教えがないというのは成り立たない
だったらただの神道、しかし宗教ではないというこれまた自己矛盾
現代の修験道の人(宗教では無い)vsアンチ宗教では無い人(修験道は宗教だ、新興宗教のせいで宗教って言いたく無いんだろ?)の戦いがあって、その続きって事で良い?俺自身修験道とか神道に疎いんだけどお遍路さんは宗教?
これの回答から行ってみようぜ
俺が聞いてるのは宗と教の漢字が付かないから神道と修験道は宗教ではないのソースと
宗派を越えて集まるから道というのソースは
ないの?
という話であって一貫して
814 底名無し沼さん sage 2023/02/09(木) 15:57:54.33 ID:ClePHsjM
宗教を否定して修験道が成り立つのかという単純な質問
829 底名無し沼さん sage 2023/02/09(木) 17:14:43.26 ID:ClePHsjM
>>827
>そりゃ宗や教えは無いからさ
それは神道そのものの話であって修験道と名乗ってるのに宗や教えがないというのは成り立たない
だったらただの神道、しかし宗教ではないというこれまた自己矛盾
という指摘して
修験道には関わってるがお遍路さんは知らん
そういう言葉遊びで誤魔化してばかりだよね実際に山に神性を感じて拝んでいる以上はやってることは宗教なんだよ
それを否定してただ拝んでる形骸化した修験道の団体に成り下がったというだけの話にしかならない
君の言う先輩の先輩もみな宗教性を否定してたわけではないはずなのに
現代人が宗教にヒステリックになって伝統を否定してしまった残念な団体なんだね
宗教=信仰とか神って話になってくるけど
人智を超えた神秘的な何かって自然の中にあるもんだと思う
日本は信仰宗教が世界で一番多い国らしいし宗教って言葉が持つ概念も変わってきてそう
案内看板を見て至ると言うよりも
行き先は知らなくても道だから歩いてれば至るもんだと思ってる
修験道(しゅげんどう)とは、古代日本において山岳信仰に仏教(密教)や道教(九字切り)等の要素が混ざりながら成立した、日本独自の【宗教】・信仰形態。
宗と教の漢字がないから宗教じゃなーいとか大丈夫か???
ちょっと違うね。来てくれる人の思いだね
気に要らない人はそれでいいの。元々不特定多数は対象にしてない
神社に来てくれる坊さんや修験宗などは他宗派だわな。
来てる時点で本人はこだわってないからね。迎え入れるよ伏してるのはお互い山だからいいの
自分自身も3,4年前に山伏って言葉を知ったし今もあるなんて事も、明治に禁止令が出た事も知らなかった。
だけど宗教って人を集めるし(本来の目的はそれではない)政府からすると厄介ってのも分かるというか…現代的な宗教とかっていうと宗派とか色々と大変そうだし
修験?は体験だろうから自然の中に身を置いてみる事は有意義だと思うし人間本来の何かとかあるのかもしれない
本格的なのは分からないけど、元々山の中での事だし、自由意志で良いとか道ってのはなんか理解出来る気がする。
本来の信仰って悪いものじゃないと思うんだよね
宗教に入ってる入ってない限らずに
だから勝手なイメージで軽く世間とやらで一纏めにされては困るよw暇なら明日深夜から雪掻きしに来なさいw
あれー?宗と教がつかないから宗教じゃないはどこ行ったんだよ?
しかも>宗派超えて集まるから宗教じゃなくて道なの。
また独自の自分勝手な妄言を言い出した
その場しのぎで世間の通説や定説から違うことばかりわめいてるから一貫性がないんだよ
>古代からの信仰は、西暦538年に日本に伝来した仏教という新しく輸入された宗教との競争に直面して、はじめて神道と名づけられました。すなわち「神道」という言葉は、日本の伝統的な信仰形態を仏教と区別するために、中国の道教につながる言葉をもちいたのであり、「神(かみ)の道」という意味を表わします。
仏は道ではなく教えです
いただきますって手を合わせるのも宗教的行為って事になるのかな?
俺は望みとかないから拝むこともないけど、
神秘的なものとかに触れたりとか朝日とか御来光っていうし
なんか感謝したくなる気持ちは分かるかも
合掌は仏教圏の感謝の作法なので宗教行為の一種と言えると思う
昔のオウム、今は統一教会で宗教は怖い、気持ち悪い、悪どいという負のイメージが強いけど
日本の伝統的な修験道がそういうのに合わせて宗教を否定して自己否定までする必要はないと思うんだよね
むしろ伝統的な宗教が堂々と、その地域の宗教教育を担ってこれからの子供たちがカルトに騙されないようにしっかりと日本の伝統的な宗教観を地元のお祭りや伝統行事を通して教えて欲しい
俺は修験道とかよく分からないから合ってるか分からないけど、宗教的作法とか宗教的行事ってかなり日本には根付いているし、クリスマスにしてもいただきますにしても、誰も特に宗教的な行事とも思わない程に根付いているんじゃ無いかな?
昔に政治が宗教を利用して統一を図ろうとした時もあるらしいけど、今は科学が基本だし。だけど俺は科学的な思想だからクリスマスもいただきますもし無いって人は居ないんと思うんだよね
昔って言葉ですら指すものは違ってくるし
オウムにしろ統一にしろ、全く根付いてないからね
むしろ、それが宗教で信仰なの?って思ってくるけど
宗教法人なら宗教団体な訳だしね
西洋人は登山して頂上に登ったら山を制覇したなんて不遜な事を平気で言う
もちろん日本の近代的登山もその流れを受けてはいるが
日本の伝統的な登山は修験道に見られるように山は拝む対象であり敬意の対象であった
何故山を拝むのかは分からないけど
山から見える景色は気持ちが良いのは分かるし
登頂しなくとも見るだけでも山はすごいってのも分かる大地に対してのあれだけの標高差を生むだけの力が働いたとか、それは今で言えば内部何とかっていうやつだけど本能的に何か畏れとか凄さを感じていたんじゃ無いの?
西洋的な登山家の登頂した時の気持ちは分からないけど
不敬なら自ずと危機管理不足でやられそうだけど…
ルネッサンスは起きないと思うよ
それを味わうこともないだろうけど
登山って辛さとか当たり前が全く違うとか
全く世界が違う場合もあるわけでそれを克服した後の幸福感?
まぁその辺はよく分からないし説明も出来なそう
達成感って言葉が一番あってるかもしれない
なるほどね、確かにその通りではある。
多分その頃って庶民は竪穴式住居が一般的だったらしいし状況が加わらなくても野外は過酷そうだし、ましては山
→宗教的な意味もあるって事だよね?それは何?危機管理の意味もある
→冬は山に限らずに過酷だし昔は装備もカンジキ?とか藁系なイメージだし、そこに標高と地形が加わると状況によっては死に直結しそう
八百万の神とかそう言ったものから来てるのでは?
開祖と言われる人が居ても道を切り拓いたって事であって
現実的にも富士山とか開いた?らしいし、その当時は自然に畏怖と感謝があったろうし、山ならよりそうなりそうだけど。
>八百万の神とかそう言ったものから来てるのでは?そう
それをアニミズム的、祖霊崇拝的な【民族宗教】と言うだけの話
山岳信仰も修験道も山を拝むのも日本人の民族的な自然観から来てる宗教です
今で言う宗教に分類されるのか?って話になってくるけど
今時の宗教はやばいからねえ
宗教=イスラム原理主義的な過激派こういうイメージだけで宗教全てを悪い、怖い、気持ち悪いというのはステレオタイプ過ぎる
むしろ伝統的な神棚を拝んで仏壇に手を合わせていれば個人崇拝と献金を強要するカルト宗教がおかしいかわかる
高学歴の若者がなぜオウムなんかに入信するのかと社会問題になったように
臭いものには蓋で宗教教育を怠ってきた結果だと思う
だからこそ修験道のような地元に根差した民衆に近い立場で伝統の行事やお祭りを通してこれからの子供たちに日本伝統の宗教観を伝えて欲しいものなんだけど
肝心の修験道がわざわざオウムや統一教会に合わせて宗教じゃないとか自己否定して伝統を否定したらおしまいだよ
山に神性を感じる感性があれば人間はちっぽけなものだと個人崇拝なんかしない
仏壇に手を合わせるのも神社で手を合わせるのも宗教的行為だけど、別に誰もそんな事思わないぐらいに当たり前にやってると思うけど。
つまり宗教として取り組んでいるのかのスタンスというかで良いんじゃない?
それは宗教?
登山をしてるうちに神秘的なものに触れて徐々に信仰を持つなら話は別なのでは?別に信仰があるから特定の宗教に入ってるとは限らないし、お遍路さんやらお伊勢さん参りとか言うけど修験もその類になったとか?宗教的儀式として冠婚葬祭に参加するって言う人も居ないんじゃない?
山の上からのご来光とかなんか神々しいもんな、それに感謝したら今で言う宗教なのか?とかね。なんか話が矮小化されてるからこれだけ言わせてもらうけど
修験道とは
>修験道(しゅげんどう)とは、古代日本において山岳信仰に仏教(密教)や道教(九字切り)等の要素が混ざりながら成立した、日本独自の【宗教】・信仰形態。
世間一般の定義としてWikipediaからの引用だけど、修験道は山に感謝だけではなく、古くからの山岳信仰や道教やら密教やらも習合してるから
日常生活で普通の人がやらない行方や祝詞やお経で構成されてるんだから修験道を宗教的意識でやらない日常に溶け込んだ風習というのは無理がある
古くからの山岳信仰や道教やら密教やらも習合してる
→ここで言っている山岳信仰ってのは立山曼荼羅とかそういうやつ?密教はチベットのイメージだし道教とか全く分からん。
日常生活で普通の人がやらない行方や祝詞やお経で構成
→これは全く知らなかった。山伏って言葉自体もここ5年ぐらいで初めて知ったんだけど、祝詞やお経は唱えないわな。
それは修験道独自の祝詞やらお経なの?
俺は全くよく知らないんだけど、お話が聞けるならありがたい
>色々な要素を含んでるって事で良い?そのまま取り入れたものもあれば、密教の言葉を借りて説明したものや、庚申信仰みたいな道教由来のもの山伏が広めたりした
>ここで言っている山岳信仰ってのは立山曼荼羅とかそういうやつ?
>密教はチベットのイメージだし道教とか全く分からん。
日本独自の曼陀羅図なんかまさにそうだよね
チベット密教はチベットに伝わって独自に発展したものだから元は同じだけど日本に伝わったものとは別
>それは修験道独自の祝詞やらお経なの?
いわゆる偽経と言われてる日本独自のお経は修験道由来が多い
道教って儒教の事を言うのか孔子ぐらいしか分からないんだけど、
密教と道教が修験道の成立に一役買っているとしても、それは開祖って呼ばれるあの人が居た時の話?生前にその人が取り入れつつって事?それとも死後に色々取り入れつつ成立したのが修験道?密教って大乗仏教からの派生なのか、仏教もそこまで詳しく知らないんだけど、何で発祥とされる地域はヒンドゥー教もしくは無宗教なんだ?ってのはずっと疑問、、。
曼荼羅は日本独自のもの?それとも日本独自の曼荼羅もある?
お経にも色々とあるのか、マントラとかは一般常識ぐらいには知ってるけど。祝詞とは別って事で良い?
謎が沢山あってすまんけど
そういう意味では神仏習合を堂々とできる修験道独自の祝詞やお経を日本民族宗教の伝統文化として守り伝えて実践していく事は大事なことだと思っている
いわゆる偽経と言われ学術的な世界からは否定されてる日本独自のお経も面白い
例えば第六天魔王が天照大御神に日本に仏教を広めるなと言って
天照大御神は争わないために表面上はわかりましたと答えるが日本に四季を作り自然の移り変わりで諸行無常を自然と悟れるようにしたという話が修験道に伝わってるんだけど
釈迦の教えではないとか、神仏なんて存在しない、修験道は宗教ではない等とこういう神仏の話も否定されて失くなってしまうのは勿体ないと思う
その当時から神仏習合が土着の信行で近代化にあたり区別する様になって修験道も禁止になったけど今は復活というか…開祖と呼ばれる役 小角って人が一回も出てこないけど
伝説上の人物としての扱い?一度だけ歴史的事実も記載されているらしいけど、あまり修験道には関係ないとか?
神道と仏教がベース?
しっくりくる気がする、
誰も知らなくても続いていくものは続いていくって思うけど
現に自分なんかも名前ぐらいで殆ど知らない。
現代では宗教も戦いみたいな部分もあるし色々と仕方ない部分もあるのかもね
その頃からあった土着の神仏習合なものが修験道ってことで良い?昔(その頃)はお経読むのが一般的だったとか驚いた
地元に観音講、地蔵講、庚申講とか残ってれば今でも縁日に年寄りが集まってお経唱えてるよ
YouTubeで庚申講で検索してみたら面白いと思う
庚申様は神道では猿田彦、密教では青面金剛、日蓮宗では帝釈天、他にも富士山を本尊にした庚申とか、同じ庚申様という名称なのにそれぞれの宗派で神様仏様が異なっていたりする
こういう民間信仰を先導していたのが修験道の行者だった
>昔(その頃)はお経読むのが一般的だったとか驚いた>>966で書いた
>地元に観音講、地蔵講、庚申講とか残ってれば今でも縁日に年寄りが集まってお経唱えてるよ
YouTubeで庚申講で検索してみたら面白いと思う
で、検索したら和光市の庚申講がヒットするんだけど
最初に天津祝詞を唱えて、次に「南無庚申二マイトリヤマイトリ」と仏式で庚申さまの真言を唱えている
そこに現存してる青面金剛の石仏には「安永九子年正月」1780(安永 9)年や講員の数として拾七名と彫ってありと少なくとも江戸時代中期から続いている講で祝詞と真言を一緒に唱えるのが当時の神仏習合の民間信仰の名残
真言ってサンスクリット語なんだっけ?
記憶で申し訳ない日本っていつの時代のだよ?っていう祠とか石碑とかあってその庚申塚っていうのも見たことはある。
道祖神とかにしてもやたら古そうなのとか残っていたり…
信仰が土着していたって事のは確かだと思う。
昔の話になってくると時系列が難しくなってくるけど
元々の修験道?にもお経は含まれていたのかな?
その開祖と呼ばれる人はどんな事やってたんだろうなってのが率直な疑問
>昔の話になってくると時系列が難しくなってくるけど
>元々の修験道?にもお経は含まれていたのかな?
>その開祖と呼ばれる人はどんな事やってたんだろうなってのが率直な疑問開祖とされる役行者は仏教の明王の姿をしている蔵王権現を感得している以上は仏教の知識は当然にあったのでお経は含まれていたのは間違いない
空海より前の時代だけどいわゆる雑密として密教は断片的に日本に伝わっていた
>雑密には呪術的な要素が多く、体系化される以前の密教で、祭祀宗教であるバラモン教のマントラの影響を強く受けています。
>雑密の修行は山の祖霊を信仰する山岳信仰に基づいたもので、インドのヒマラヤの神や、中国の道教、チベットなどにも見られる密教に共通するものです。
ヒンドゥー教に経典は無いです
ガイドブックみたいなもんで絶対では無いし誰も保証できない
オンギャクギャクエンノ(役の)ウバソク(優婆塞)アランキャソワカ
引用元 https://itest.5ch.net/kizuna/test/read.cgi/out/1556508173/

![山に登ろう[山岳信仰]](https://kotatsu874.jp/wp-content/uploads/2025/08/23500449_m.jpg)


