昔の障害者ってどんな生活してたの?

昔の障害者ってどんな生活してたの?

2025年12月15日

0001日本@名無史さん

昭和初期~縄文まで時代は問いません。
昔の障害者ってどんな生活をしていたのでしょうか?
知ってることがあれば教えて下さい。

0009日本@名無史さん

確か東北に多い、しろっこ=座敷童の正体とか言うのがあったな。 

021日本@名無史さん
マジレスすると、漏れの母方の実家の近所の名家には障害者が高い確率で生まれるそうだが、当時は蔵を座敷牢として使い、そこに閉じこめていたそうだ。

0022日本@名無史さん

江戸時代、神経衰弱者は「労咳」と呼ばれた。「気労」ともいう。
ややこしいのは「肺結核」も労咳、「恋煩い」も労咳と呼ばれたこと。
それなりに医者が診療したらしい。
(神経衰弱が障害かどうかはおいといてくれ)
0025日本@名無史さん
盲目の座頭は按摩で稼いで副業で金貸しをした。
「なでまわし五一の金をさしはじめ」
石田検校(盲目の棋士)にかけた川柳。
五両にたいする利子が月一分、一両=四分だから月利5%
つまり年利60%となかなか高利。

0278日本@名無史さん

昔は障害者に職権を与えて専業として従事させたんだ
そういう業務を統括者にすべて管理させた
座頭制なんかそうだな
あんま、もみ療治なんか座頭制で許可制だぞ

座頭貸なんていう金融業も独占営業権をあたえて生活を保障してやったわけ
そうした職権は株で売買もされた罠
相撲の親方株を連想してみろや
おもしれえ話もあるがここらでな

0028日本@名無史さん

米沢藩主・上杉鷹山が、孤児や孤老、障害者を五人組、十人組の中で、養うようにさせてたらしい。0029日本@名無史さん
鷹山公のすごいところはあれほどの財政難だった上杉家を立て直した
ばかりではなく徳をもって智となすとしたところだね
物がおちててもねこばばする人はいなかったらしい0030日本@名無史さん
というより養惨の奥方が障害者だろ?実子は居なかったんじゃなかった毛か?婿養子に来て奥さんが障害者者ね・・・0031日本@名無史さん

松平容保も追加。

0035信澄タン可哀想

外国の宣教師の日記に
「秀吉は手(か足)の指が6本あった」
とか書かれていたな。
本当かよ・・

0456日本@名無史さん

2006/01/27(金) 15:03:03

秀吉は指が6本ある多指障で、相当な迫害も受けたのだろうが、
彼はむしろそれを利用した感がある。珍し者好きの信長に気に入られた
要因の一つにもなったし、同僚の嫉妬を抑える効果もあった。
天下人になってからは気にしだしたようだが、それ以前にはそんな素振りもなかった。
器が違うっつーかなんつーか。俺だったらすぐ切りとっちまっただろう。

0457日本@名無史さん

2006/01/27(金) 15:58:06

自分で切断しようかと思ったらしいけど、
母親好きであり、親から貰った体を傷つけるのが嫌で
切断するのを止めたと自筆の手紙に書いてたと本で読んだことある。

前田利家の日記にも「太閤殿下は指が六本ある云々」と書いてたらしいね。
これは、新潮新書「モナリザは高脂血症だった」に載ってた記憶がある

0038日本@名無史さん

今昔かなんかに火事を匂いで予言するは◯ちがでてくるね。外国の物語なんかにも

結構でてくるし、は◯ちはわりと普通にいたんじゃないかなあ。0040日本@名無史さん
119 名前: 天之御名無主 投稿日: 01/12/16 16:21

江戸時代後半まで、一部の地域では
奇形児を神格化して祀っていた。祀られた奇形児は
成人とともに一日だけ、何をしても許される日を与えられる。
そして、その後、村人達に食べられてしまう。
といった話を何かの本で読みました。
詳しい情報を知っている方いませんか?
出来れば、本も紹介していただきたいッス
違うスレからのコピぺ。
ちょっと話題が違うかもしれませんが、奇形児つながり。
私も知りたいので誰か知識のある方教えてほしいです。というのを民神板で読みました。

0042日本@名無史さん

前に江戸の頃の絵をみたけど、物乞いする聾唖者が書かれていた。
たぶん、こんな感じだね。
奇形児を祀るって熊野あたりにあったような気がする。0043日本@名無史さん
岩波文庫の忘れられた日本人
にでています。私はこれを読んで泣いてしまいました。

忘れられた日本人 (岩波文庫 青164-1) [ 宮本 常一 ]

価格:1078円
(2025/12/12 14:55時点)
感想(30件)

0045日本@名無史さん

江戸時代の見世物芸人に「大き◯たまの男(フィラリアによる象皮病)」がいた。 
巨大に腫れ上がった金玉に小さい卓を乗せて食事したり、なかなか人気者だったらしい。 
で、宣教師だか蘭方医だかが「その病気は治療できるので、うちに来なさい」と 
声をかけたところ、「俺はこの金玉のおかげで食ってるんだから、余計なお世話だ」 
と返された…というのを聞いたことがある。

0399日本@名無史さん

 俺の父親は船員でこれにやられた。家族は笑いを堪えていたけど、本人は困ってたようだ。 
天井からむち打ちの首を吊す矯正器具で金玉をつるしていた。 
医者が注射器でなかの液体を抜いたてからが、相当痛かったようで 
「あの馬鹿医者、余計な事しやがって」と呪っていた。 
父親は仕事先の東南アジアで感染したようだけど、医者が言うには鹿児島県では 
風土病のひとつなんだと。西郷隆盛もかかっていたと説明されたとか?(弟のほうかな) 
でも、治ったよ。それと症状はおなじでも違う種類なのかね。

0062日本@名無史さん

自閉症なんかは、社会生活が困難だったり、知的障害が有ったりするが、 
脳の情報伝達の仕組みが違うので、機械的記憶能力を持ってたりした。 
(今で言うサヴァンね) 

稗田阿礼とか、そうかも。 
昔でも一定の割合で生まれてたと思うので、 
使いようによっては重宝されたのでは? 
「ばかと鋏は使いよう」 
は良い諺なのかもしれないよ? 
今のような画一的なものさしよりは。

0063日本@名無史さん

福助もいわゆる障害者じゃなかった? 

江戸時代は盲人の組合のような物があったような。 
明治になって、四民平等で無くなって困った、みたいなこと聞いたことある。

0107日本@名無史さん

>63 
福助は水頭症だと思われます。一族や村の災難を一身に受けた 
(つまり身代わり)そうなったので皆から大事にされたようです。

0328日本@名無史さん

福助は水頭症の子供がモデル。 
ひょっとこはアテトーゼ型脳性まひの男がモデル。 
昔の日本は障害者を阻害せず逆に集落の中心にもってくることで 
福を呼ぶ象徴にする思想があった。

0073日本@名無史さん

古事記だかにヒルコさんという劣児が生まれたさいに神様が驚いて 
海に流したとあり海の神様に拾われたとかなんとか・・・ 

南北朝時代の太平記なんかの絵巻物を見ると端の方に 
片足の人やら盲目で手探りしてる人が見れ、乞食のような生活を 
してるように見えます。生活環境は苦しかったと思われます。 

江戸時代になりますと家光さんの時代から江戸だけですが「道教」が主体となって 
ハンディキャップの人を支えたそうで、法でも定められており 
ハンディキャップの人が罪を犯した場合も奉行所で裁断後「道教」の人間に渡され 
死罪の場合は、鎖で巻き、海に顔を入れ殺したそうです。 

また東北地方も道教に任せた藩が多いです。 

0075日本@名無史さん

江戸時代には、盲人でも塙保己一とか本居春庭とか 
学問の世界で優れた業績をあげた人がいるね。 

0076日本@名無史さん

勝海舟の曽祖父は、盲人で、江戸に出て当時、盲人に許されていた金貸し業で成功 
をおさめ、大名にも金を貸す程になった。 
 その財力で、検校にもなり、子供のために旗本男谷家の株を買って、子供は武士と 
なった。 
 その男谷家から勝家に婿養子に行ったのが、勝海舟の父、小吉である。 
 10年程前に、「勝海舟」と言う日テレ系の年末時代劇で海舟(田村正和)に徳川 
慶喜(津川雅彦)がこんなセリフを言う場面があった。 
 「そちの先祖は、検校じゃそうじゃのう」 
 この作品はビデオ化されているので、大きなビデオ 
店なら今で置いてあるよ。

0088日本@名無史さん

戦中戦後は、少なくとも知的障害者には優しかったね。 
クラスにも一人居たけれど、みんなで可愛がっていたよ。 
ま、時にはおだてて歌をうたわせてからかうぐらいはしていたけれど、 
特に女の子は優しかったよ。 
担任の女の先生の友達で、時々学校に遊びに来る人も居たし、 
辻辻や店先で歌って踊って芋や野菜をもらう陽気な人も居た。 
中には精神障害者で、いつもぼろを着てさまよっている人も居たが、 
その人は昔すごい秀才だったとかで、一種畏敬の目で見られていた。 
ただ結核の人は悲惨だった。伝染病は恐ろしかったからね。

0096日本@名無史さん

体が不自由になるのって、なってみないとつらさがわからないよな。 
俺は、幸いまだ健康だが、年を取ればだれでも多かれ少なかれ 
不自由になる。 
髪が薄くなるのだって、歯が1本無くなるのだって、寂しいものだよ。 
それが、目が見えなくなるなんて、想像を絶することだろう。

080日本@名無史さん

古代では、歩けない人などは、天皇直属の民として聖視されていた面もあったとか。 
中世・近世でも特別職能集団として生きる場は合ったな。 
戦争中は、天皇の足手まといの「非国民」と言われ、家に隠されました。

0093日本@名無史さん

>>80 
>戦争中は、天皇の足手まといの「非国民」と言われ、家に隠されました。 
>>88 
>戦中戦後は、少なくとも知的障害者には優しかったね。 

どっちやねん 
てか88は70近い高齢者?

0097日本@名無史さん

>>93 
高齢者ではない まだ60代だ!w 
何しろ田舎だからね 
家の者はうっとうしいだろうけれど 
一家総出で働くのだから 働けるなら手伝う 
それもできないならほったらかし 
家の内のことは知らんが 村の人間は 
現在のようにちやほやもしないが いじめもしなかった 
余所のことは知らん 
中には弟を連れ学校に来る奴も居た 誰もそんなこと気にしなかった 

0103日本@名無史さん

家定については司馬遼太郎著書「最後の将軍」に 
少しだけ記載されている。 

白い痘痕顔で豆を炒るのが趣味で、半生の豆を 
家臣に食べさせようとして嫌がられたとか、 
奇声をあげながら鳥を追いかけていたという話が載っていた。 

ほとんど人語を解せず、家定と会話をできるのは生母と乳母のみだったと言われる。

0120日本@名無史さん

昔の人のほうが医療が発展してないし危険な職業も多かったから、生まれた時は健康でもいつ障害を負うかわからないって気持ちが強かったんじゃないかと思う。 
そのぶん、「当然、存在する人」として社会参加してもらうって考えだったのかもしれん? 
現代のほうが「基本的に存在しない人」として扱われてる気がしないでもない。

0127日本@名無史さん

ダウン症は遺伝子が一つ多いことによる。 
江戸時代では、障害者が生まれると「福家」といい、豊かになるといわれた。 
それは、家族が頑張って働くかららしい。 

ダウン症が西欧で命名されたのは19世紀。 
西欧でもダウン症は、それまでは、定義として「存在」してない。 
最初はモンゴロイド疾患といったが、差別的命名なので変更した。 
遺伝子が一つ多いことを発見した人はノーベル賞をもらってたはず。

0151日本@名無史さん

縄文時代の遺跡から当時の平均年齢(30程度ですが) 
まで生存した障害をもった人骨が発見されています 
(確か四肢のどこかが未発達のものだったかな) 
分業の存在と高度な食料分配製度を示すと言われてます 

中世の病気に関する史料として「病草子」があります 
諧謔を交えて不眠症、両性具有、歯槽膿漏etcといった病気が描かれてます 
非田院が設けられたり「一遍上人絵伝」に描かれた瀬者のように 
社会から排除されながらも徒党を組みお互いに助け合う彼らはやがて 
「神人」「犬神人」のような寺社に属する組織を組み上げ 
忌避と畏怖を同時に受ける存在となります。 
(もののけ姫では見事に描かれていました) 

0152日本@名無史さんNGNG続き 
律宗が作った非田院や、足利尊氏が後援を受けた覚一が作った琵琶法師検校 
江戸時代の人足寄場では障害者に職業訓練を行ったりと 
個人的には日本の歴史的障害者の扱いはそれなりの物があると思いますよ 

瀬予防法は悪法としか言えませんね

0196日本@名無史さん

盲人はけっこう保護されてたらしい。 
当道においては検校~座頭などの官位があったそうだ。八橋検校などが有名。

0201名無し

程度の軽い人は旅に出た。街道はそんな人々の人生の場であったという。 
生業としては、乞食もしたろうし、小商いもしただろう。 
これに犯罪者や売春婦、食い詰めものが加わって独特の世界を作っていたと 
いう。

0209日本@名無史さん

ダウンは多いよ 
口裂症より多いと思われる 
昔の障害者って、俺はわからないけど 
なんか呪術的要素の強かった日本では確かに優遇されてたかもね 
逆に皮肉にもノーマライゼーションのバランスが良かったかもね。 
歴史的資料に残されてないという事は、一般庶民と同じ扱いだったのでは? 
なんて思ってしまう。特別なものが伝えられたかもね

0211日本@名無史さん

戦後の左翼思想の連中が変な先入観を入れた感が強い気がしてならない 
障害があるからといってやたらと人権だとか利権だとか一部の人間から 
派生して、その既得権を確保・利用する連中がいたから当時の障害者の 
定義が歪曲された感じもしないでもないと思う。 
当時は障害者は障害者として別に気にされなかった気がしてならない。 
もし途中で殺していたり、一部の箇所に集まっていればその地域には変形した 
骨やら色々な証拠が後世まで残り、そしてそれをネタに戦後の似非思想家連中は 
もっと騒いだとも思う。闇から闇へと消された歴史は本当は存在しないようにも 
思えるけど・・・・どうだろうね。

0240日本@名無史さん

自分の地元には、指定被◯別部落や未指定被◯別部落がいくつかあって 
その中には、かつて障害者や病人が隔離されていた地区もある。 
江戸時代は、近隣のエタ村の薬師や医者や下働きの者が、障害者の面倒を見ていたようだ。 

今は、未指定地区などの者は、近隣の一般の団地に移住し 
空いた土地に大きな精神病院や関連施設ができ、 
ほとんどの職員は指定地区民や未指定地区民が占めている。 

0241日本@名無史さん

土地の用地買収の問題だろうね、やっぱ。 
地元の理解がないと、精神病院や刑務所は建てにくい。 
地元の方々の理解があればこそ建ったんだろうね。 

明治維新・太平洋戦争敗戦の2つの大変化のたびに、 
正しい自然科学や人権への理解が広まったように思う。

0246日本@名無史さん

そうした物乞いをして生きなければならないような障害者でも生きて行ける一つの要素としては、 
町というか、もう少し狭い隣近所の親睦に役立っていた隣保(りんぽ)組織の働きがあったと考えられます。 
武家屋敷とか大きな商店を除いては江戸の庶民の住居は、長屋というスペースの狭い1階建ての集合住宅でしたから、 人々は顔を会わせないではいられなかったのです。それに徳川政権はキリスト教の抑圧を徹底するために、 
相互に監視させるねらいもあって相互の連帯を強化させる政策をとっていました。 
オーバーに表現すると、すべての責任は長屋全体で負わなければならない、という具合いでした。 
その真のねらいがどうであれ隣近所の相互扶助のシステムが障害者にプラスしていたことは確かでしょう。

0255日本@名無史さん

障害者と言っていいかどうか分からないが・・・ 
東北地方で、知恵遅れの青年がいて、彼が訪ねた(というかやってきた) 
店は商売繁盛になったという伝説があるみたいですね。お店によっては 
招き猫と一緒に彼を模した人形を置くところもあるみたいだ。 

近眼なんか立派な障害なんだろうなあ。

0258日本@名無史さん

>>255
仙台四郎ね。

0257254

俺が読んだ資料では、盲人は数人の組を作り、村々を廻ったと書いてあった 
とおもう。各農村には、そいつらに宿を貸す寺があって、そのための費用は 
普段から村の人々から出されていたらしい。 
 ひとつの村で仕事が終わると、村から案内役が出されて、次の村へ送られ 
る。それが繰り返されていた。 
 どんな小さな村でも一年に一回は厄払いをするから、結構需要があるみた 
いだし、各農家も万一自分の家から障害者が出たとき、同じように面倒を見 
てもらうために金を払うだろうし、うまくいっていたと思うよ。 
 ただ、確実に厄介払いだと思うけどね。

0283日本@名無史さん

角界の人気者高◯盛のドキュメンタリーを見たことがあるが、ありゃあどうみたってアスペルガー症候群。 
「ロボコップ」なんて言われているけれど、一種生まれつきの病気なんだ。色々言われても直し様が無い。 
本人が一番よく判っている。 

少なくとも、普通のアスペルガーはスポーツが苦手だからそれで身を立てるなんて到底できはしないんだ 
が、>>179,185にあるとおり何かの様式を一徹にやりつづけるところもある。高見盛の場合は相撲で、それ 
が彼を成功に導き、出世させ、人気者にさせたんだと思う。 

障害だろうと重症だろうと健常者だろうと、行けるところまで行けば生きてもいけるし、相応に出世もするし 相応に幸福にもなれる。それだけのこと。周囲にとっては、彼らを寛容に理解し住み場所生き場所を与え 
てやる以上のことなど、必要ないのさ。 

少なくとも、障害をネタにして聞き手である健常者をビビらせ金取ってるモノ書きに比べたら、社会にとって は害悪でも何でもないさ。

0311日本@名無史さん

前の方でも出ていたけど、裕福な家であれば座敷牢、養えない場合は子捨てや間引いてたんじゃないかな。 
知的障害や足萎えなどは福を呼ぶ者とかいって大事にされたりえびすさんとかいって漁につれていかれたりしたろうけど。 

白子症といえばユタと不思議な仲間たちの作者の本を思い出します。 
もっとも昭和に入ってからの話ですから、昔とは言えませんが。

0332日本@名無史さん

ちょっと以前の話ですが、父の実家の村では、精神障害のおばあさんが、 
(先天か後天かは不明)村はずれの小屋で一人で生活してました。 
親類からの細々とした援助や、物乞い、お供えなどで生活してました。 
又、多少のお告げ・祈祷まがいも行っていたようです。 

イタコなどは視力に問題のある人が多いという調査を以前読んだことがあります。 

身体障害はごぜさん、見世物、あんま、座頭、職業としての乞食などの自立可能な職業。 
精神障害は福子、知的障害レベルによっては下働きなどで村の共同体で養える限り養っていた 
のでは?(江戸期?~戦前?) 

但し、明治以後の国民皆兵により、兵士に向かない=非国民等の考え方の浸透で、 
扱いが変わった可能性もあると思います。

0382日本@名無史さん

ヒットラー時代のドイツでは「ただ税金を無駄に浪費する何の生産性もない者」 
として一斉に毒殺された

0385日本@名無史さん

>>382
T4計画ね。毒殺だけじゃないよ。排気ガス。銃殺。いろいろ試して 
最後はチクロンBが効率的という結論になった。 
しかし、ヒムラーのいったことばは名言だね。 
「死んだ方が幸せな連中」

0387日本@名無史さん

藻前らの地方がどうかは知らないが、漏れの地方では 
障害児=神の子 
って昭和初期まで扱われてたらしいよ。もっともこれは「うちでも障害児が生まれたら困る!!」 
っつー、貧しいからこそ、お互いに助け合う地域特有の考え方なんだがな。 
「最近の夫婦は自分さえよければって差別するのが嫌だよ」と、婆ちゃんが嘆いていた。

0390日本@名無史さん

先天的な病気なら、産婆っていう今の助産婦が 
キュッと首絞めて死産ってことにしてたらしい。 
あと村が飢饉に襲われたら、真っ先に「間引き」になってた。 
高家の家に生まれたなら、殺されはしなかったけど 
一生幽閉されていたらしい。

0395日本@名無史さん

昭和、おいらの実家では障害のため外出もままならなかった人がいたけど、 
本人も努力したし、家族で支えたので、天寿をまっとうできた。嫁にきてがんばった 
カーチャンもえらいなと思う。 
ご近所さんにも障害をもった方がいたけど、やっぱり家族で支えていた。 
昔は支援施設も少なかったし、田舎ゆえ大家族ゆえか、家族で支えるのがあたりまえだった。 
大家族で、外で稼いでくる男衆が2人いて、家事をこなす女衆も2人はいると、一人の障害者 
を一家で支えることもできたのかな。 
核家族では、一人の障害者を支えきれないのでは。 

0400日本@名無史さん

1866年 イギリスのジョージ・ラングドン・ダウン博士が、発達の遅れのある子どもたちの中で、互いによく似た顔貌と 
特徴ある身体症状を呈した数人の子どもを発見し、その顔貌が蒙古人に似ていることから「蒙古症」と命名しました。 

その後1959年にルジュンらによって「蒙古症」は染色体の異常を伴う特殊形態であることがわかり、そこで外観上の 
類似によって名づけられた「蒙古症」などの名称はなくなりました。そして名を統一する必要性が高まる中、1966年、 
ダウン博士の論文100年を記念する国際シンポジウムにおいて「ダウン症候群」が採用されるようになった。 
これを簡略して一般に「ダウン症」といいます。 
ttp://www.sky.sannet.ne.jp/mikeneko/psychology/psychiatry07.htm

ということなので、蒙古症という用語は戦後しばらくまで聞いたけど、 
江戸時代以前は特有の名称はなかったんでしょう。 

視覚障害者については以下の本が詳しい。けど、大きな図書館とか、大学の図書館に行かないとないかも。 
古本屋でも7000円前後の値がついている。 
 日本盲人社会史研究, 加藤康昭, 未来社, 1974 

聴覚障害者に関しては以下の文献に寺子屋に在籍するものとして聾唖児が数名記載されている。 
これも一般の図書館ではなかなかお目にかかれない。 
 日本庶民教育史. 乙竹岩造著. 臨川書店, 1970. 

また、日本聾史学会というのも最近できたがまだまだ明治以前に遡った研究は少ないと思う。

0419日本@名無史さん

ダウン症は江戸時代には認知されていなかった。 
知恵遅れの子供たちが互いに良く似た風貌であるという経験則が 
知られていなかった。 
そういうことですか?

0420日本@名無史さん

アンカーついてなかったから見落とすとこだったw 
>>419
ダウン症そのものがなかったんですね。 
日本人も黄色人種ですから、特に目立たなかったんじゃないですか、欧米と違って。 

詳しく調べていませんが、難聴と聾、弱視と盲が分けられたのはおそらく明治時代ですよ。 
今から30年程前にはADHDとかはありませんでしたよね。

0422日本@名無史さん

トリソミー(ダウン)症候群がなかったなら、 
5pモノソミー(猫鳴き)症候群とか 
13トリソミー(パトー)症候群とか 
18トリソミー(エドワーズ)症候群とか 

も無かったのかね? 
プロのお産婆が絞め殺して、死産として扱っていた? 
下二つは平均寿命半年くらいだから、生きてても目立 
たないけど。

0426日本@名無史さん

総合失調症を患う人々はどういう扱いを受けたんでしょうか。 
障害者とは分けて考えるべきかもしれませんが。

0429日本@名無史さん

>>426
明治時代の「精神病者監護法」では私宅監置が認められてるよ。警察庁の許可を得ないといけないけど。・・ということは 
江戸以前は公然と行われていたんだろうなあ。昔は精神病院もないし、当然クスリもないし。 

ちなみに、鹿児島の離島や東北の山奥の村々では1970年頃まで精神障害者を自宅に閉じこめる、という事例がちらほら 
でていたらしい。ガクガクブルブル。 

0453日本@名無史さん

障害者が居場所を確保したのは単に社会の分業化の賜物 
分業の契機である農耕社会の発生・発達を、障害者という観点から 
分析すると面白いかもしれないね。

0493日本@名無史さん

障害者の中には、お遍路さんや全国を障害者しか知らない裏道を使って 
旅をしていたって忘れられた日本人に書いてあった。 
うらのネットワークがあったんだねぇ 

あと手話にしても正式なもの以外の古来からの聾唖者の間で受け継がれたものが 
あるそうですね。

0494日本@名無史さん

>>493
手話に関しては難しいね。何をもって正式なものとするか、から始めなきゃならないくらい 
個人差、地域差(学校差)が大きいし、全日本聾唖連盟発行の本に載っているのが正式なものとすると 
かなり、京都色が強いし・・・ 

それに手話は聾唖者集団があってこそ、成り立ち、発展していくもので 
聾唖者は視覚障害者のように早くから組織化されていたわけではないから、 
せいぜい一代限りのホームサインに終わってしまうことが多い。 

狂言の演目に聾唖者が出てくるものがあるらしく、そこでホームサインが使われていた 
というのは「手話の世界」という本にも出てくるが、これを手話と呼べるかどうか。 

「みんなが手話で話した島」という外国の例の翻訳本があるけど、日本でも 
九州の方に聾唖者が多く生まれる島があるらしい。そこではもしかしたら、 
島の聾唖者同士で通じる別系統の手話があった可能性はあるね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/宮窪手話

みんなが手話で話した島 (ハヤカワ文庫NF) [ ノーラ・エレン・グロース ]

価格:1320円
(2025/12/12 16:38時点)
感想(2件)


0569日本@名無史さん

青森県日本海側一部地域の津軽地方(旧津軽藩)の視覚障害者は、 
津軽三味線奏者や民謡歌手になり、生活の糧にしてました。 
仕事と言っても特に無く、大道芸人みたいな者でした。 
日本の偏狭である津軽では、大道芸として町中で披露しても、誰も振り向きもしないのが現実でした。 
そこで門付けと言われる、各家々を回り玄関先で三味線を弾いたり民謡を歌うなどをしました。 
しかし地元津軽では、視覚障害者の事をボサマと蔑み迫害してきました。 
門付けに行けば、ボサマ(盲目)・ホイド(物請)と蔑み嫌いました。 
中には投石や棒で叩き追い回す子供等もいました。 
津軽では門付けすらまま成らない状況でしたので、東北一円を回ったと言います。 

現在ではメジャーな津軽三味線ですが、悲しい歴史が有ります。 
盲目の三味線奏者が涙を堪え、生きる為に発展した津軽三味線。 
津軽三味線が泣き三味線とか恨み節と呼ばれる所以です。 津軽三味線奏者や民謡歌手等は、昭和40年頃迄差別迫害されてました。 

【津軽三味線・歴史】等でググれば沢山史実が見つかりますよ。 

追記 
津軽=青森県と勘違いする方が居ますが、津軽は青森県の一部地方です。 
青森県全域では無い事を付け加えます。

0075日本@名無史さん

時代時代、みんなどっこい一生懸命に生きてます。

引用元https://kako.5ch.net/test/read.cgi/history/1025364849